重度障害の「れいわ」2議員が「超党派」で訴える、「障害者の社会参加実現」

ALSを生きる者としての経験を、政治の世界で生かしたい

集会は手話通訳、ひらがな文字通訳、要約筆記の「情報保障」つき。吸引器・吸入器利用者向けに電源も確保された

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 7月21日の参議院選挙で重度障害のある舩後靖彦・木村英子両氏(れいわ新選組)が当選してから約3か月。参議院は本会議場の改修や押しボタン投票装置の設置を行い、議院運営委員会では福祉車両の公用車3台導入を理事会で決定した。  両氏の主催で10月10日、「介助をつけての社会参加を実現するための院内集会~障害者の完全参加と平等にむけて~」が参議院議員会館で行われた。会場には障害の当事者を含む330人以上が詰め掛けた。  両議員が政治家として目指すものは何か。集会の資料にあるテキストから引いておく。 〈今回、れいわ新選組の比例特定枠で参議院議員となりました舩後靖彦です。今回国会召集日10月4日に62歳になりました。所属は文教科学委員会です。  私は働き盛りの40代でALSを発症し、全身が徐々に麻痺し、人工呼吸器をつけなければ確実に死亡すると宣告され、絶望の淵におりました。  2年間、死ぬことばかり考えていた私ですが、同じ病の方たちのピアサポートを通し、「悔いなく死ぬには、前向きに生き、人生を満足のゆくものとする」という心境に変わり、2002年に呼吸器をつける決断をいたしました。その後、訪問介護・訪問看護事業所の副社長として自分と同じ病を持つ方たちの生活を支える側として活動してまいりました。  そんなときに山本代表の言われた「人を生産性で測ってはいけない」という言葉に出合い、自分自身でも大学でのゲスト講義で話していたことでしたので、当たり前のように話す代表から依頼され、立候補を決断しました。  私の経験から、いかなる障害があっても、重篤な病気であっても、尊厳と楽しみをもって自分の人生を全うできる社会、自分らしく生きられる社会の実現のために、ALSを生きる者としての経験を政治の世界で生かしたいと思います。  障害者の代表として国政に送り出していただいたことを自覚し、自身の経験だけでなく、さまざまな特性を持つ障害当事者の声を聞き取り、それを国会の場で発信し、政策に結びつけてまいりたいと存じます。どうぞよろしくお願いいたします〉(舩後氏)

障害を持つ人たちが、「当たり前の生活」を実現できる世の中に

 一方、木村氏はこう書いている。 〈今年の参議院選挙において、同じ仲間の障害者の皆様と多くの支援者の皆様の信託を受けて議員となりました、木村英子です。  私は生後8か月のときに歩行器ごと玄関から落ちて障害者となり、以後18歳まで施設と養護学校で育ちました。  しかし、施設での虐待に耐えられず、健常者と同じように当たり前の生活を実現したくて、19歳のときに命がけで家を飛び出し、地域で自立生活を始めました。  地域での生活は、社会障壁が多く、たくさんの差別を受けましたが、それと同時にたくさんの人たちに助けられ、重い障害を持っていても、普通の女性として結婚し子供を育て、自分の夢を実現してきました。  重度の障害者は本来、親亡きあとは施設に入れられ、死ぬまで地域へ出られないままの人生を送るのが当たり前であり、私も施設にいる多くの仲間たちのように、今頃施設にいてもおかしくない存在なのです。それが重度障害者の当たり前の現実です。  地域で生きるために障害者運動しかしてこなかった私が国会議員となって、できることは少ないかもしれませんが、今もなお、社会的障壁のために夢を閉ざされている多くの障害者の仲間たちのために、力を尽くしていきたいと思っております。  今後とも皆様のご指導をいただきながら邁進していきたいと思っておりますので、よろしくお願いいたします〉(木村氏)
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与党も巻き込む「超党派的存在」
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