JCO臨界事故の悲劇から20年。事故当時の村長、村上達也氏が語る「あのとき」

語られなかった「もう一つの事故」

・最後に、筆者に直接関係する話題があったので触れておこう。  村上氏の講演によると、JCO臨界事故の年(1999年)の7月、「J-PARC」を東海村に設置するという知らせが村に届いた。J-PARC(大強度陽子加速器施設)というのは、3台の加速器を連結した巨大な陽子加速器と、その加速器で作られる大強度陽子ビームを様々な研究に利用する3つ(4つに増える予定)の施設からなる、先端的な科学研究施設群のことである。対象とする研究分野は多岐にわたり、ニュートリノ研究を始めとする素粒子物理や原子核物理、多種多様な対象を扱う物質科学や生命科学が含まれる。  J-PARCは日本原子力研究開発機構(以下、原子力機構)と高エネルギー加速器研究機構(通称KEK)の共同プロジェクトであり、施設群は原子力機構の東海村の敷地内に建てられることになった。東海村に知らせがきたのは、そのためである。  折からの原子力不況に加え、「もんじゅ」ナトリウム漏えい事故(1995年、福井県敦賀市)動燃火災爆発事故(1997年、東海村)が重なり、原子力エネルギーへの不安感・不信感を高めていた村上氏は、このJ-PARC設置の知らせを「東海村の“第二の夜明け”だ」と感じたそうである。これはすなわち、東海村を「原子力の村」から、J-PARC等の先進的施設を中心にすえた「先端科学研究の村」に転換できるのではないか、という希望である。  J-PARCはその後、2001年に建設が開始され、2008年に主だった施設が完成、利用運転を開始している。現在ももちろん稼働中である(メンテナンス期間以外は)。  ところで、J-PARCのことを話す村上氏について、筆者は少々の違和感をもった。村上氏は講演でJCO臨界事故はもちろん、「もんじゅ」や福島第一原発の事故にまで触れながら、J-PARCで起きた大きな事故、すなわち、2013年5月のハドロン実験施設における放射性物質漏えい事故には一切触れなかったのだ。  大きく期待したJ-PARCでの事故であり、ショックが大きすぎて話題にすることができなかった、といった事情でもあったのかもしれないが、あの事故は、もしも「先端科学研究の村」に転換したとしても油断をすればあのような事故が起こり得るのだ、ということを示す教訓となるものであるため、村上氏にはぜひ、事故に触れ、聴衆に改めて周知してほしかった。そして何より、原子力機構J-PARCセンターの元職員である筆者は、村上氏の現在の見解を聞いてみたかった。 <文・撮影/井田 真人>
いだまさと● Twitter ID:@miakiza20100906。2017年4月に日本原子力研究開発機構J-PARCセンター(研究副主幹)を自主退職し、フリーに。J-PARCセンター在職中は、陽子加速器を利用した大強度中性子源の研究開発に携わる。専門はシミュレーション物理学、流体力学、超音波医工学、中性子源施設開発、原子力工学。
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