サファリさんとデニズさんの記者会見。再収容の恐怖を語り、涙ぐむ2人
デニズさんは2007年来日。収容のきっかけは、ある店で外国人嫌いの日本人に絡まれ、喧嘩になった。手を出していないのに「出した」といわれて、警察に連れていかれたという。その後に入管へ移送されることになり、3年もの収容になった。デニズさんは一貫して無実を主張している。
デニズさんは年上の日本人女性と2011年に結婚している。しかし一向にビザがおりることはなかった。奥さんは「自分が子供を産むことができない年齢だから認められないのではないか」と気に病んでいた。
デニズさんはある日、入管職員に「眠り薬が効かないので別の薬がほしい」と頼んだところ拒否され口論になった。たくさんの職員が来てデニズさんを押さえつけ、腕を後ろにひねり上げられ、喉に親指を突いてくるなどの暴行を受けた。
あまりの痛みに、
「殺さないで!」
と叫んだところ、職員たちは
「殺さない、殺さない」
と言いながら、せせら笑ったが止めてはもらえなかった。
それからも職員による嫌がらせは続いた。ある職員が、かぶっている帽子のツバがあたるほど顔を近づけてきて、デニズさんが離れてもしつこく顔を近づけてきたので「さわるな」と怒った。
すると職員は「また騒いだ」と言って、独居房(通称:懲罰房)に閉じ込めた。陰湿な挑発は続き、ボランティアの牛久収容所問題を考える会の田中さんが面会をするたびに彼は懲罰房にいたという。
こんなこともあり、デニズさんの自殺未遂は3年間の収容で4回にものぼった。大橋弁護士は「そんなひどい環境の中にデニズさんを戻すわけにはいかない」と深刻さを訴えた。
記者会見のかいもあってか、8月14日と16日は30人くらいの人たちが2人に付き添うために集まった。それぞれ2人は、来てくれた人のために何度も感謝の気持ちを示した。しかし1階執行部門の部屋からは出てくることはなく、その日のうちに牛久入管にバスで移送された。