山本太郎氏の議会活動をどう評価するかは、人によって異なるだろう。
しかし、一つ言えることは、山本氏はそもそも国会の制度や議会自体を必ずしも重んじていない、ということではないか。
(訂正)当初この章では2015年に成立した難病対策法案への対応について、山本氏が法案に賛成しているにも関わらず反対したかのような解釈をしていましたが、ご指摘を頂き再読したところ、誤読していました。お詫びして訂正します。
先日の麻生太郎財務省問責決議案への欠席も意味不明である。議会活動の軽視も甚だしい。
”
スマートに戦って勝つなんて幻想でしかない。
そんな余裕なままで政権奪取できるのはいつになるのだろうか?
あまりにも気位の高い戦い方しかできない野党は野党のままだ。
いつまで地獄のような状態をこの国に生きる人々に強いるのか?
月曜には総理の問責という儀式が行われる。
私はその儀式もパスする。
本気で引きずり下ろす気がない戦いには与しない。 ”(参照:
棄権について|山本太郎オフィシャルブログ「山本 太郎の小中高生に読んでもらいたいコト」)
国会に中指を立てている写真などからも、山本氏は「国会のルールに則っていては物事は解決できない」という印象を有権者に与えようとしているのではないか(あるいは自分がそう信じているのでは)、と疑念を抱く。(参照:
山本太郎「消費税を廃止しないとロスジェネ世代が死ぬ!」 | 日刊SPA!)
更に遡るのならば、園遊会で天皇陛下に手紙を手渡す行為も同じである。
国会議員が、有権者より与えられた権能として、その良心に基づき一票を投ずることは義務である。これを放棄する議員を私は信任することはできない。
このようなことが受け入れられるのも、ひとえに議会活動そのものが、左右問わず無駄と捉えられている。
それだけ議会の信頼が落ちているのではないか、と推察するのだ。