2度の豪雨でたやすく崩落した伊方発電所周辺集落の避難路。蓮池氏とへこみデミオ号で回ってみた

チョー絶景の堀切大橋へ(災害時は壊れる想定)

塩成(しおなし)集落から見上げた堀切大橋

塩成(しおなし)集落から見上げた堀切大橋2016/08/13牧田撮影
たいへんに素晴らしい眺めです

 大久から合流した山頂道路は、八幡浜側に向けて標高230m程度まで登ると、あとは湊浦にむけて高度を少しずつ下げて行きます。この区間は、アクセルを踏まなくてもぐんぐん加速して行きます。トンネルと橋梁がたいへんに多い区間で、しかも昭和50年代の標準的な工法ですので結構壊れやすそうです。実際、トンネルは頻繁に点検と修繕が行われており、修繕跡が目立ちます。  8分ほどで、難工事区間だった堀切峠をまたぐ堀切大橋を渡ります。堀切峠では中央山脈が途切れており、むかしから佐田岬半島の南北、宇和海側と瀬戸内側を結ぶ重要な場所なのですが、山頂道路建設では難所となりました。かつては宇和島藩がここに半島を横切る運河を建設しようとして断念し、その遺構が残っているそうです*。 <*堀切大橋 いよ観ネット>  この堀切大橋が国道197号線の弱点であることは行政も意識しているようで、2016年の原子力防災訓練では、この堀切大橋が通行不能になったという想定で行われています。 (参照:伊方町佐田岬半島部の住民避難個別訓練概要|愛媛県)  ここでよく思い出しましょう。大災害が起きたとき、高速道路、鉄道、橋梁、トンネルは、いったん閉鎖した上で安全点検を行い、安全が確認された上で閉鎖解除となります。それには半日から数ヶ月かかります。そして多くの場合、特に橋梁が損傷によって長期封鎖されます。福島核災害の場合は、原子炉が大破するまでに約1日の余裕がありましたが、これは原子炉スクラム(非常停止)後、1時間冷却する間があったためで、たいへんに条件が良かったのです。原子炉緊急停止と同時に冷却を失った場合、TMI-2(スリーマイル島原子力発電所二号炉炉心溶融事故)が実例ですが、わずか数時間で原子炉は炉心溶融後、破壊されます。核災害時には、橋梁などの点検をする余裕時間は殆どないのです。
国道197号線堀切大橋三崎側

国道197号線堀切大橋三崎側2019年6月10日ドライブレコーダによる
中央山脈は堀切峠で途切れており、197号線は堀切大橋で深く広い谷をまたぐ。この橋は197号線の弱点であり、2016年原子力防災訓練では、堀切大橋が通行不能という想定であった 標高140m

 堀切大橋を渡った直後、道路には佐田岬メロディーラインと名付けられた仕掛けがあり、タイヤと道路の摩擦で音楽が鳴ります。同行する女性は、「これ四電がお金出してあちこちに作っているのよ、いやねぇ。うるさい。」といいます。私は、結構好きなので、そこまで嫌わんでもエエがなと思いますが、確かに風力発電機より遙かにうるさいです。維持費がかかりますし、夜間深夜にフェリーを利用する大型トラックが走行しますので、最近増やした一部の集落近くにあるものは剥がすべきでしょう。
堀切大橋脇の観光案内

堀切大橋脇の観光案内2016/8/13牧田撮影
ボロボロなので修繕して欲しい。堀切大橋の瀬戸内側ある三机湾には、かつて甲標的(日本海軍の特殊潜航艇)基地が置かれ、日本のパールハーバーとも呼ばれている。湾の地形が真珠湾に似ているために基地が置かれたとのことである。
塩成、川之浜、大久は、昔から海水浴場として賑わってきた。昭和60年までは、八幡浜・三崎連絡船の寄港地であった

伊方発電所再稼働時における災害の記録

旧国道197号線(伊方町道)二見・塩成間道路崩壊地点

旧国道197号線(伊方町道)二見・塩成間道路崩壊地点2016/8/13牧田撮影
同年7月の豪雨で崩壊した。年度内には予算が付かず、復旧には1年近くを要した

 ここで伊方発電所再稼働の2016/8/12時点での佐田岬半島における大きな道路損傷をほんの一部だけ写真でご紹介します。大久の旧国道崩壊箇所は怖くて引き返したために写真がありません。  山頂道路(国道197号線)が壊れるほどの災害が起きた場合、伊方発電所に不幸にして過酷事故が発生したとして、その場合、伊方町55集落の住民が避難できるかと言えば、それは第二動線である県道255号線(瀬戸内側)と、旧197号線伊方町道(宇和海側)が使えるかにかかっています。  さて、伊方発電所裏で蓮池さんをご案内しているとき、目の前に露岩がありました。蓮池さんは、露岩に近づくと、いきなり片手で岩をむしり取り、素手で岩を握りつぶして砕きました。Oh! まるでケンシロウです!「蓮池の拳」か!?怒らせたら骨を砕かれそうです。 「これ、とても脆いんですよ、手で崩せます、ほら」 「あら、こんなの私にも砕けるわよ」  皆さん、露岩から次々に岩をむしり取って砕いてゆきます。どれどれ、私のような弱っちい細腕でも岩を砕くことができます。  佐田岬半島は緑色片岩で有名で、伊方発電所も見事で美しい緑色片岩を原子炉の基礎岩盤としています。ところが、この岩石は地表付近で風化するときわめて脆く崩壊しやすい性質を持っています。そのため佐田岬半島は、全域で大規模な地滑りが起こりやすく、宇和島藩もそのためにたいへんな苦労をしていたことが知られています。今日でも至る所で道路が壊れる原因です。  この地層のやっかいさは、原子力の現場で働く人は勿論、土木・建築の人間ならば誰でも知っていることです。実際、伊方発電所内で植生皆伐後のはげ山への護岸工事では、大雨のたびに土砂流出が見られます。四国電力が、たいへんな努力と苦労をしていることが外からもよく分かります。  奇しくも、四国電力がたいへんな努力の上に成し遂げた2016年8月12日の伊方発電所三号炉操業再開(再稼働)のとき、佐田岬半島の道路は、同年6月の豪雨によって満身創痍でした。伊方発電所敷地内外でもあちこちで土砂災害が発生しており、県道255号線(第二動線)でも通行規制が発生しました*。 <*:伊方発電所敷地境界付近における土砂崩れの発生について 2016.7.11 原子力安全対策推進監>  仮にこのとき、不幸にして大天災が起きて伊方発電所が第十五条通報をする事態に追い込まれれば、発電所に緊急用物資は届かず、半島内通信網と道路網は寸断され、市民は逃げようがなく右往左往すると言った事態が生じ得ました。  せめて道路の復旧をした上で操業再開すべきであったと思います。私が、愛媛県と伊方町の避難計画がたいへんに甘い想定に基づいたガラクタで、まず役に立たないと考える原点がここにあります。
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まだあった「謎のトンネル」
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