政府が言うべきは「2000万円足りないからカネ貯めろ」ではない

“昭和バブル時代”からずっと引きずってきた価値観を疑え

年金イメージ「老後2000万円」問題で世間が騒がしい。「老後に2000万円も足りない」の部分だけを切り取れば、多くの方々が怒るのも当然だ。俺も怒っている。  だが率直に言おう。老後に2000万円は要らない。そう言い切れるのは俺の主観である。そして俺以外にも「消費は美徳だ」「モノにあふれた暮らし」「もっともっと」という“昭和バブル時代”からずっと引きずってきた価値観を疑い、思考を変えて行動を起こしている人たちがいる。そうした人たちからすると、どうでもいい話だ。  ただし2000万円が必要な人もいるし、それでは足りない人もいる。そのために「頑張ってお金を稼いで貯めよう」という人がいるのも素晴らしいし、貯めるために努力を続けて成果を出している人も素晴らしい。人それぞれ事情があり、人それぞれ価値観があって当然だ。  金融庁の報告書の2017年のデータによると、2人以上世帯の毎月の消費支出は、20代で23万円、30代で26万円、40代で32万円、50代で34万円、60代で29万円、70代で23万円。すべてをお金で調達する暮らしが当然である世の中にあって、これ以上の消費支出を絞るのは厳しいに違いない。

消費を減らしながら、暮らしを潤わせる方法とは

65053373_475926243159541_1547234364629188608_n 一方、先述した価値観を疑い、思考を変えて行動を起こしている者たちは、モノは所有するよりアクセス(シェア、分かち合い、譲り合い)できればいいし、家を自らや仲間でリノベーションしたり、農家さんとつながったり、自らも少々の野菜を菜園で作ったり、地域や知人同士で余り物のお裾分けをし合ったり。消費額はぐんと下がるのに、暮らしが困るどころか潤っている。  例えば、処分や維持に困っている空家を、不動産屋でなく人の紹介でお借りする。自分や仲間とで修復して、オシャレで機能的な家にして、家賃0円から3万円くらいで暮らす。「住まいのコストは収入の3分の1以内に」と言われるが、遥かにそれ以下になる。実際、俺の知り合いや仲間にはそういう人たちが増えている。暮らしの満足度が高まり、収入を増やさずとも余るお金が大きくなる。  例えば子どもの教育費も、高学歴で有名企業に就職させることが過去の常識になりつつある中で、子ども自身が自分で考えて生き抜く力をつける育て方にシフトすれば、世間ほどの額は要らなくなる。  例えば老後を考えて、自分のやりたいことができる仕事を興し、付随して複数の仕事にも波及して、複業で暮らす実践者も増えている。心身が動く限り、生涯現役。定年もなく、死が近くなるまで少々でも収入が入る。  いよいよ終末期が近づいたら、医療処置は最小限に抑えて素朴に逝きたいと考え、世間でいう老後や介護の出費が大きくならないように、元気なうちから考え抜いている。葬儀などはせず、コストが小さい自然葬を望む。墓には入らずに子孫に負担を残さない。年老いた親とも、親自身の逝き方について話し合う。
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麻生大臣には、「いちばん困っている人の視点」がない
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