手錠腰縄で病院内を歩かされたバングラデシュ難民が仮放免、しかし苦難は続く

中国にも母国にも戻れない状態になり、日本で難民申請

 その後、マールーフさんは母国を離れてマレーシアや中国などを転々としていた。中国では特定の住所はなく、船の上で働いていた。2015年11月、船の仕事で何度も訪れた日本に仕事で来たときに事件は起こった。川崎港で船は大火事を起こし、とても中国へ戻れる状態ではなくなってしまった。  そこで他の乗組員とともに2週間ほどの上陸ビザをもらい、ホテルに滞在していた。ところが突如、中国の会社から雇い止めの通告があり、そのままバングラデシュに帰るよう宣告された。  危険な母国に戻ることはできないマールーフさんは悩んだ結果、同12月、入管に出向いて難民申請をした。しかしすでにビザが切れてしまっていたことから「仮放免」という立場で生活することになった。  母国に残された家族は、ALのメンバーに「マールーフはどこにいるのか?」と脅され、「日本にいるのならカネを相当、稼いでるだろう」とたびたび恐喝を受けた。今は家を離れ、別の場所でひっそりと暮らしている。

手錠腰縄写真について国会で追及も、入管側は改善せず

初鹿議員

国会で手錠腰縄の件について質問する初鹿議員。3月26日、衆議院法務委員会・本会議(国会中継)より

 2018年2月東京入管へ仮放免手続きに出向いた際、マールーフさんは「難民として認められない」と言われ、その場で収容された。手錠腰縄の写真の件はその年の10月。本人は病院で写真を撮られたことも、インターネットに載ったことも知らなかった。そして、仮放免手続きをわずか1週間で却下され、牛久入管に送られることとなった。  最初は顔を隠されていたが、本人の希望もあって顔も出すようになった。それがさらに大きく話題を呼び、ニュースにも取り上げられることになった。3月26日には、衆議院法務委員会でも取り上げられた。  立憲民主党の初鹿明博議員がマールーフさんの手錠腰縄写真を持ち、追及した。 「腰ひもがいつも見える状態で連れていかれるので、収容者の方々からすると、本当にすごくそれがつらいと言っているんですね」 「確かに、逃亡の防止だとかそういうことから、何らかの逃げないような措置というのは必要だとは思いながらも、やはりあからさまに、何かした人だなというのが周りからわかるような状態というのは、本当に極力わからないようにする必要があるんじゃないかと思うんですよ」  それに対し佐々木聖子入管局長(現・長官)はこう答えた。 「護送に支障をきたさない範囲内で捕縄を短く把持するというようなことなど、人目に触れにくい状態で使用しております。さらに、病院施設内の動線につきましても、できる限り一般の方との接触を避けるなど、病院にもご協力いただきながら、配慮をしているところでございます。引き続き、人権に配慮した処遇に努めてまいります」  しかし手錠腰縄の件については改善の様子はなく、被収容者たちの間では不満は高なるばかりだった。一方、マールーフさんだけは、病院に連れて行かれる時に手錠腰縄をされることはなくなったという。
次のページ 
1年3か月の収容の後、突然に仮放免の許可がおりたが……
1
2
3