呂布カルマと語るMCバトル盛衰史。「ブームの証」となるある現象とは?<ダメリーマン成り上がり道#15>
楽曲で人気のアーティストも、本物の不良も出場者に混じっていた時代もあれば、そういった人達が去っていき「MCバトルはもう終わり」と言われた時代もあった。その後のブームの絶頂期には、フロアに大量の女性とギャル男がいたときもあった。MC正社員の連載『ダメリーマン成り上がり道』の第15回は、ラッパー・呂布カルマとの対談。‘00年代半ば以降の日本のMCバトルの盛衰史を、2人の関係を絡めて振り返る。
MC正社員(以下、正社員):「呂布さんの存在は、UMB(ULTIMATE MC BATTLE)の名古屋予選の出場者として10年以上前から知っていたんですよ。当時のMCバトルはFORKさんがUMBで優勝(2006年)したあとで、カチッと韻を踏むスタイルが主流だったんですけど、そのなかで一人だけ違うスタイルで、グラサンかけてオールバックでバトルに出ていたのが呂布さんで。『この人のスタイル何なの?』というのが最初の印象でしたね。呂布さんは当時名古屋予選でそこまで勝ってもいなくて」
呂布カルマ(以下、呂布):「優勝はしていなかったですね」
正社員:「でもベスト8のあたりに名前が常にあったんですよ。そういう状態が何年か続いて、‘11年のUMBの本戦に呂布さんが出たときに、会場のリキッドルームで初めて話しました。呂布さんは三重代表として出ていたときもありましたよね」
呂布:「東海3県は出場者がぐるぐる回ってた感じでしたね」
正社員:「だから名古屋の実力者が他県から出ることもあって。‘11年のUMBで呂布さんは前年の優勝者の晋平さん(晋平太)と当たるんですけど、当時のルールだと呂布さんの完敗で。でもマジでカッコよくて。その試合後に『呂布さん、メッチャかっこよかったです! これからも頑張ってください!』って話しかけたら、呂布さん、JOJOみたいなポーズで「来年はわからせてやるから」って言っていましたよ」
呂布:「全然覚えてないな。その日は敗戦のショックでバトルの後の記憶があまりないんですよ。俺が吉田くん(MC正社員)をちゃんと認識したのは、戦極MCバトルにライブ出演と一緒に呼んでもらったときですね」
正社員:「当時は『MCバトルの世界に未来はあるのか』みたいに心配していた時期なんですよね。名古屋に呂布さんがいて、他にも地方にいろんな人がいたんだけど……」
呂布:「NAIKA(NAIKA MC)とかDOTAMAとかね」
正社員:「崇勲とか輪入道くん、NONKEYさんもその頃からの人かな。本当に暗闇だったんですよ。でも呂布さんは当時からスタイルがまったく変わってないじゃないですか。それで今の立ち位置があるのは本当にスゴイなと思います」
呂布:「仕事の話で『一日3時間、10年頑張れば誰でもプロになれる』みたいな言葉がありますけど、僕は本当に10年くらい今の活動を続けて、やっと最近それでメシが食えるようになったんです。だから自分のことを『俺は天才だ』と思ってたんですけど、すごく普通だったんだなと気づきました(笑)。一年で食えるようになったら天才なんですけど」
異色のスタイルにグラサン、オールバック
10年貫けばどんな世界でもメシは食える
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