HBO編集部:「『FORKさんがMCバトルのスタイルを固めた』という話がありましたが、同じ実感は正社員さんにもありましたか?」
正社員:「FORKさんが優勝したあとのバトルはFORKさんみたいな人がすごく増えましたたね。
BESさんが有名になった後はBESさんみたいなフローの人だらけになりましたけど」
呂布:「BESは
音源のほうでブチ抜けてたからですよね。バトル出てないヤツでもBESのコピーみたいなフローのヤツが日本中にめちゃくちゃいたから」
正社員:「
般若さんがUMBで優勝したときはどうだったかな」
呂布:「般若さんのフォロワーはいなかった。何よりバトルの世界が変わったのは、
晋平太が優勝したあと。言い方は悪いけど、『
イモみたいなやつでも努力と根性でバトルに勝てる』みたいな風潮が出てきて、アーティスト志向のヤツは一気に離れたんですよ」
正社員:「その動きは本当にありましたね。でも俺は、
その変化がMCバトルの業界をよくした面もあると思っていて」
呂布:「
競技人口が増えたからね」
正社員:「誰でもバトルに出られる環境を作ったのが晋平さんで、そこから
MCバトルがスポーツ化したんです。それがつまらないという意見もあるし、一理あるとも思うけど、やっぱり晋平さんの功績は大きい。それまでのUMBは『格で優勝する』みたいな空気があったけど、晋平さんは
いろんな人とのバトルで修行をして、それをYouTubeで配信し、自分で優勝するための風を吹かせた。そしてテクニックで優勝した。だから俺、
晋平さんって革命児だと思うんですよ」
呂布:「そうだと思う。
よくも悪くも歴史を変えた」
正社員:「
俺は悪いと思ってないですからね!」
呂布:「特に名古屋では、昔から
“不良がカッコつける”みたいな文化があって、UMBの予選にもそういったアーティストがでていたんですけど、晋平太の優勝で
『ああ、UMB終わったな』みたいな空気がムチャクチャあったんですよ」
正社員:「晋平さんが2連覇したときはあったでしょうね。音源のほうで支持されているアーティストの層がゴッソリ抜けて、まだは高校生ラップ選手権始まる前で、シーンに若い層もいなくて。『
これからどうするの?』みたいな感覚がありました」
呂布:「さらに晋平太のスタイルを煮詰めたような
R-指定が3連覇することで、名古屋ではもう本当にバトルは終わったんですよ。バトルのイベントもUMBの予選以外はほぼなくなった。だから僕も地元ではバトルに出なくなって、バトルをしていたのは吉田くん(MC正社員)や岐阜の人から呼んでもらった大会とか、大阪のENTER MC BATTLEでライブをしたときくらいで。当時はバトルの世界に先があるとも思えなかったし、音源作るのに集中していましたね」