期待と失望が交錯した民主党政権時代のメディアと政治を振り返る<「言葉」から見る平成政治史・第6回>

大きな転機となった「東日本大震災」

 加えて、2011年の東日本大震災の復旧復興が重なった。原発事故も重なり未曾有の規模の災害になった。他の政権であったとしてもそれなりに混乱したことは疑いえず、また自衛隊の初動など阪神淡路大震災の経験を踏まえてかなりの改善は見られたが、民主党政権に対する不信感は増す一方だった。国家存亡の危機に際して政権の求心力が増すともいわれるが、すでに2010年に内閣支持率と不支持率が逆転していたこともあってか、政権に対する評価は顕著な改善は見られなかった。  2012年12月突如、民主党政権、つまり2000年代の非自民政権は3年3ヶ月で幕をおろした。民主党政権が従前の期待に応えられなかったことに対する社会と有権者の不信感は根深く、現在にまでその影響が認められる。現在の各野党の主たる顔ぶれは、やはり当時の民主党政権の顔役とかわらないことと無関係ではないだろう。  ただし民主党政権の、あまり認知されていない成果についても言及すべきであろう。  当時の民主党政権とNPO等との近さは東日本大震災復旧復興における市民社会の知恵の活用に貢献した。特定非営利活動促進法(通称、NPO法)の迅速な改正によって、税制優遇を受けられる認定NPO制度の柔軟化や認定基準の緩和、NPO法人設立申請手続きの簡素化や地方自治体への権限委譲等、現在にまで影響する重要な法改正だった。  ソーシャルメディア等の公的機関における活用が本格化したのもこの時期にあたる。復旧復興に関連して、オンラインでの情報発信が積極活用されたことは特筆すべきだ。  菅内閣のあとを継いだのが、野田内閣だった。ただし野田内閣にはもはや政権運営においても取りうるオプションはほとんど残されていなかった。野田内閣は2012年12月突如辞意を表明した。社会保障の充実、安定化と、安定財源確保、財政健全化の同時達成を目指した社会保障と税の一体改革に関する三党合意はのちの消費税増税の礎にもなった。だが、民主党のあとを継いだ民進党分裂などもあって、現在では顧みられることもなくなりつつある。  この時期の「政治の言葉」は「新しい政治」とそこから発せられる新しい言葉に対する希望と失望に満ちている。次回、それらを個別に論評する。 <文/西田亮介 photo by Corpse Reviver via wikimedia commons(CC BY-SA 3.0)> にしだ りょうすけ●1983年、京都生まれ。慶応義塾大学卒。博士(政策・メディア)。専門は社会学、情報社会論と公共政策。立命館大学特別招聘准教授等を経て、2015年9月東京工業大学着任。18年4月より同リーダーシップ教育院准教授。著書に『メディアと自民党』(角川新書)、『なぜ政治はわかりにくいのか』(春秋社)など
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