幸福の科学は90年代から
自民党政治家を支援するなどしてきた。2007年には、当時参議院議員に初当選を果たした
自民党・丸川珠代氏を支援。2009年には、千葉県知事に初当選した
森田健作氏を支援した。森田氏は知事選では無所属として立候補したが、もともとは自民党の衆議院議員も務めた自民党系だ。
その後の2009年5月に幸福の科学は幸福実現党を結党。当時、その理由として、北朝鮮のミサイル発射に対する政府対応への不満を挙げた。しかし内情を知る脱会者の間では、上記の2つの選挙での「成功体験」で大川総裁が「その気」になったのではないかと指摘する声もあった。
いずれにせよ、自民党寄りだった宗教団体が独自に国政進出を目指すため結成したのが、幸福実現党である。当時、『文藝春秋』のインタビューに答えた大川総裁は、「数でいえば、派閥一つ分が最低ライン」「(公明党に)負けるとは思いません」「(小選挙区全てに候補者を立てるための供託金9億円について)小さい、小さい。そんなゴミみたいな(笑)」と豪語し、衆院選に337人もの候補者を擁立し、自らも比例近畿ブロックで立候補した。
しかしその大川総裁自身も含め、
全員が落選。地球至高神にして仏陀の生まれ変わり(自称)が民主主義によって拒絶されるという大事件だった。以降も国政選挙のたびに候補者を擁立しつつも、大川総裁自身は二度と立候補しなくなった。
釈党首は2017年に街頭演説で、公明党が「政権のブレーキ」と言われることにからめて自党を「保守政治のアクセル」(釈党首)と称した。同党は南京虐殺や従軍慰安婦を「捏造」と呼ぶ。昨年の党大会で釈党首は「マルクスの共産党宣言を打ち砕くまで、私たちの戦いは終わらない」とも言い放った。
保守、歴史修正、反共……。「極右」と呼ぶにふさわしいが、違った側面も併せ持つ。
同党は2009年の結党直後に
「新・日本国憲法試案」を発表。その
内容が天皇制否定であるとして、一部の右翼団体から抗議や街宣を受ける憂き目を見た。
たった16条しかないこの憲法試案は、大統領制導入を謳い、「天皇制その他の文化的伝統は尊重する。しかし、その権能、及び内容は、行政、立法、司法の三権の独立をそこなわない範囲で、法律でこれを定める」とする。天皇制を憲法で規定することをやめた上での大統領制。この点だけ見ると、保守というよりも日本共産党の「天皇制なき共和制」によく似ている。右翼が怒るのは当然だろう。
政策の内容だけではない。アピールの方法においても、人の神経を逆なでするケースが目立つ。
たとえば福島第一原子力発電所事故直後のたとえば2011年5月には、都内で「原発はクリーンエネルギーだ!」などと叫ぶデモを開催。2016年には、広島で「核の傘は必要」と訴える街宣やデモを行った。同党は核の傘どころか、日本自身の核武装も主張している。
2012年の衆院選では、大川総裁が天照大神を呼び出したと称する霊言で、「この不浄な国民だったら、私は3000万人くらい、この地上から消したいくらいです!」「日本列島ぜんぶ沈めます。沈めてもう1回浮かび上がらせて、新しい国民をゼロから作ります」と口走る。立候補はしなかったが自ら選挙街宣に乗り出した。街頭で
「死にたくなければ幸福実現党と書いてください!」などと、選挙で有権者に対して宗教的な脅迫をぶつけたのである。
もちろん、この選挙でも全員が落選した。しかし日本列島は沈没していないし、3000万人の日本人が消滅したりもしていない。同党に投票しなかったせいで死んだ人も、たぶんいない。
もはや保守であるかどうか以前の問題だ。
国政選挙では全敗の幸福実現党だが、
2014年に富山県の小矢部市議会選挙で公認候補が無投票当選。初めての地方議員が誕生する。以降、先日の統一地方選挙前までに全国の
地方議員数は計22人となっていた。
今回の統一地方選では、石川県の津幡町市議選に現職・井上しんたろう氏が立候補せず、同党は同選挙に代わりの候補者を立てなかった。また長野県の駒ヶ根市議選では、前回、幸福実現党候補者として当選した塩澤康一氏が「無所属」で立候補し再選を果たした。
この2人以外で今回改選だったのは4人。愛知県の東浦町議選で原田えつこ氏が落選したものの、ほか3人は全員が当選した。このほか1名が北海道の浜中町で無投票当選。さらに投票で15名が新たに当選し、統一地方選での当選数は計19名。選挙前には22人だった全国の
地方議員総数を35人へと増やした。
当選者数だけ見れば「大躍進」のように見えるが、果たしてその実情はどうだろう。無投票1人を除いた18人について見てみよう。
まずは得票順位だ。18人中、
最下位当選が5人、ブービーが6人。順位がひとケタだったのは、いとうゆたか氏(飛島村、定数10)の8位とはまだみゆき氏(新宮町議選、定位数12)の9位だけだ。
全員が下位当選だったことがわかる。