水面下で動くはずだったのが、外相の記者会見で明るみに
外務省からもコンタクトがあったが、最初はどう対応していいのかわからず、電話には出なかった。
「東京にいると夫の残像が見えたりしてつらいので、鹿児島の実家に帰り、母親と一緒にいました」(深結さん)
外務省の人が訪ねてきて「家族の承諾がないと、外務省も動けない」というので「お願いします」と答えたという。
しかし純平さんが拘束されたことが知れわたるのは、2015年7月10日。岸田外務大臣の記者会見の席だ。テレビ局の記者が、わざわざ大臣に「安田純平氏がシリアで拘束されている件に関して情報はあるのか」と質問してばらしてしまった。水面下で動くはずだったのが、それ以来はブローカーやメディアが深結さんに接触してくるようになる。
安田純平さん(右)と筆者
純平さんは、15年前にイラクで起きた人質事件を引き合いにだす。
「(人質となった)3人の家族が、政府に対して『申し訳ありません』と、ずっと頭を下げて、お願いしていたそうです。『政府としては(自衛隊撤退に関して)何もできない』と言われ、それに対して家族が声を荒げたところだけを繰り返し流された。
そこで、家族の『助けてほしいとう』言い方が気に入らないということでバッシングが起きました。責任は本人にあり、政府としても邦人保護の範囲内でできることをするしかない。
しかし、家族の態度がいいか悪いかによって助けるか助けないとかいうものではない。それによって政府や行政が対応を変えてしまったら、それは独裁国家ですよ。そういうものではないのです。
でも日本社会では、『自己責任』と言いながら家族も連帯責任にされる。だから妻には、放置するように、一切メディアなどには出ないようにと言っておいたんです」(純平さん)