劇場型政治と“カリスマ”――00年代、小泉「ワンフレーズ・ポリティクス」の影響力 <「言葉」から見る平成政治史・第4回>

ワンフレーズポリティクスで変質する日本社会

●2001年 (年間大賞)「米百俵/聖域なき改革/恐れず怯まず捉われず/骨太の方針/ワイドショー内閣/改革の『痛み』」小泉純一郎(内閣総理大臣) ”所信表明演説で使われた「米百俵」「恐れず怯まず捉われず」、首相のスローガンである「聖域なき改革」、それにともなう「改革の『痛み』」、首相を議長とする経済財政諮問会議の「骨太の方針」、小泉政権に名付けられた「ワイドショー内閣」。2001年4月、第87代(56人目)の総理大臣となった小泉純一郎首相は、空前の国民支持を背景に、説得力あるキャッチフレーズを駆使することで01年最多の「流行語生みの親」でもあった。”  拙著『メディアと自民党』(角川新書、2015年)などでも言及したように、小泉内閣は類まれな個人的な資質と自民党の組織能力をハイブリッドに活用しながら「作られた政治の言葉」を駆使して新しい時代の「言葉の政治」を展開した。  個人の印象が弱いとされた歴代の日本の総理大臣とは対照的なその姿をメディアは連日大きく取り上げた。小泉の言葉は連日ワイドショーを賑わせ、彼が口にした一連のフレーズが新語流行語大賞の年間大賞を受賞した。 『メディアと自民党』でも論じたが、この時期を期に与野党ともに、増大する無党派層に訴求する戦略、戦術の開拓、ビジネスで用いられているようなマーケティング手法の活用等の組織能力の向上に強い関心を向け始める。  政党単位では広報部門の拡充、インターネットなど新たなメディアの利活用が模索された。こうした動きは90年代の政治制度改革の一環として取り入れられ、96年の第41回衆議院議員総選挙で初めて実施された小選挙区制の世界でいかにして生き残りを図るのかという問題とも関係する。 「自民党をぶっ壊す」を公言し、96年の総選挙で与党の地位を自民党に取り戻した立役者橋本龍太郎に競り勝ち、3度めの挑戦で自民党総裁、総理の地位を手にした小泉は「言葉の政治」を駆使しながら確かに一時代を築くことになった。だが、「作られた政治の言葉」は瞬間瞬間に、ワイドショーやのちにはインターネットから拍手喝采で迎えられるが、着実に日本社会と政治を変質させていった(トップテン)「e‐ポリティックス」 天野外支子(市民団体代表) ”インターネットを利用した政治。2001年6月創刊の小泉内閣メールマガジンには、創刊時に計100万件以上の申し込みが殺到した。電子投票、電子政府などの構想もあるように、政治の世界でもインターネットは大変重要なツールとなりつつある。選挙候補者のインターネットによる選挙運動は現在認められていないが、01年の千葉県知事選では、応援する候補者への支持、擁立のよびかけなどでインターネットを活用した市民グループが注目を集め、堂本暁子新知事誕生のきっかけとなった。”  この言葉を耳にする機会もめっきり少なくなった。それは何も政治行政分野の情報化が進んだからではあるまい。住民基本台帳時代の紆余曲折を経て、行政の利便性向上の鳴り物入りで導入されたはずのマイナンバーカードの普及も10%前後で低迷したままで、源泉徴収票や領収書をはじめ、確定申告では未だに多くの紙と戦わなければならない。  インターネットの透明性、双方向性といった技術的特性はその初期から政治改革との相性の良さが期待された。だが新技術を使った情報公開や寄付を可能にするための法律、条例の制定には、定義上新技術を十分には活用できないというもどかしさも残った。  メディア研究の世界では大別すると、新技術(メディア)が政治を変えるという変化仮説と、新技術も資金力や組織力など従来型の権力関係と独立ではない要因によって規定されるので大きくは変化しない(従来どおり、すなわち通常状態が継続する)という通常化仮説という2つの学説が競合しているが、もっぱら後者のほうが有力視されている。ちなみにここで言及される「小泉内閣メールマガジン」は内閣広報の一環として取り入れられたもの。なお初代編集長は当時の安倍晋三官房副長官(トップテン)抵抗勢力 受賞候補者が全員辞退のため、受賞者なし ”小泉内閣が推進する「聖域なき改革」に抵抗する勢力のこと。道路族や郵政族、医療族といった「族議員」は、自己の関係する省庁の影響力が低下する恐れのある改革には、強く抵抗する傾向があるので、種々の改革や規制緩和の障害となる場合が多い。これまでの族議員型、利益誘導型の政治は限界にきているといわれるが、従来の自民党内閣とは正反対の方向を向いた「小泉改革」に抵抗する勢力、「既得権益派」はまだまだ多い。”  小泉改革に反対する勢力、とくに昭和の自民党政治では問題視されなかったどころか、ごく一般的な存在だった業界との繋がりの深い族議員や、小泉内閣に反駁する自民党内の派閥などは「抵抗勢力」というレッテルを貼られることになった。  清和会出身で自民党内基盤が必ずしも盤石ではなかった小泉は、小選挙区制やメディアと相性がよく、普段政治に関心の乏しい無党派層に訴えかける非伝統的な手法を活用せざるをえなかった。抜群のセンスといわざるをえない。  小泉が総理になったこの年、アメリカの同時多発テロ、いわゆる「9.11」が生じ、世界の、そして日本の政治、安全保障を取り巻く環境が激変していく予兆に見舞われたからか、この年の新語流行語大賞にはここで取り上げた言葉の他にも政治と関連した言葉が「トップテン」のなかに取り上げられていることは注目に値する。小泉内閣の財務大臣だった塩川正十郎の愛称「塩爺」、日本の金銭面のみの貢献がしかも後手にまわって国際的に不評を買ったとされる湾岸戦争への関与の反省を踏まえて対テロ戦争への貢献をいち早く表明するきっかけとなったアメリカ由来の「ショー・ザ・フラッグ」、イラク攻撃の口実とされたが実在は真偽不明のままとなり、のちにイギリスではアメリカ追従を選択したときの首相トニー・ブレアは強い社会的非難を浴びることになった「生物兵器(BC兵器)」(日本では政治的責任の所在は十分に追求されず曖昧なままに現在に至っている)である。確かに新語・流行語大賞を政治の言葉が賑わせた年となった。

後に摘み取られる「情報公開」の萌芽

●2002年 (トップテン)「内部告発」串岡弘昭(『ホイッスルブローアー=内部告発者』の著者) ”食品の安全・表示事件、リコール事件、医療過誤事件、牛肉偽装事件、原子力発電所トラブル隠し事件など、一連の企業の不祥事を明らかにするきっかけとなった「内部告発」が注目されている。アメリカでは、内部の腐敗などを告発するホイッスル・ブロワー(whistleblower)を保護する法律を先進的に制定しており、イギリスでも、1998年に、公益情報公開法(Public Interest Disclosure Act 1998)が成立した。日本でも、国民生活審議会消費者政策部会「消費者に信頼される事業者となるために ―― 自主行動基準の指針」(平成14年4月)が「公益通報者保護制度」について言及している。 受賞者の串岡弘昭さんは、27年前に勤務していた運輸会社で違法運賃の実態を内部告発したことから、その後さまざまな嫌がらせと闘いつづけている。告発以来、昇給・昇格は無いといわれている。これを不当として2002年には勤務する会社に対して損害賠償を求め訴訟を起こした。”  地方自治体における情報公開制度の条例化の流れを受けるかたちで、行政情報公開法が1999年に成立し、施行されたのが2001年のことである。以来、行政情報の公開は至上命題となっている。  開示請求は活発に利用され、総務省の「平成28年度における行政機関情報公開法の施行の状況について」によれば、2016年に各行政機関に対して行われた開示請求は126502件で、前年に比べて約15000件程度増加したという。そのうち97.8%にあたる109750件が開示決定に至っている。不開示理由の97.1%は「不開示情報に該当」とされ、「行政文書不存在」や「存否応答拒否」「その他」を大きく上回る。「不開示情報に該当」のうち区分の多くが「1号 個人に関する情報」(82.6%)「2号 法人等に関する情報」(79.1%)(複数回答有り)となり、「3号 国の安全等に関する情報」(1.9%)「4号 公共の安全等に関する情報」(8.5%)を大きく上回った。それなりに機能しているといえそうだが、ITを活用した情報公開の進化は遅々として進まない一方で、2013年に特定秘密保護法が成立し、この間統治機構の権限集中と情報公開の流れに逆行する動きも見られる。  前後する話題でいえば、80年代前半の薬害エイズ問題しかり、1999年の東海村JCO臨界事故などを含め、国、民間を問わず不祥事の隠蔽は組織の性であるかのように繰り返され続けている。消費者保護の側面も含めて、切り札として注目されたのが、内部通報であり、公益通報であった。  情報公開請求が組織の外から問題や不祥事の所在に接近する手法だと捉えるなら、内部通報と公益通報は逆に組織内部から組織内のしかるべき機関に、ときには組織外にアプローチし問題解決を迫るいわば対照的な手法といえる。ちょうど1999年に実話に基づくタバコ産業の不正告発を描く『インサイダー』(マイケル・マン監督)が話題になった。同作のなかでも、ラッセル・クロウ演じるタバコ会社の副社長が告発するか否か葛藤する様が描かれる。最近の『スノーデン』(オリバー・ストーン監督、2016年)もひとつのバリエーションだが、米映画では「告発物」は定番のジャンルとして確立されている。それらの作品で共通で描かれるのがやはり告発者の苦悩だが、一般に長くひとつの組織で働くことが美徳とも結びついて捉えられえきた日本社会では、組織の恥部を晒すこれらの手法は組織内で強烈に白眼視されがちである。そのままでは内部通報、公益通報制度は機能しないものになりかねないから、通報者を保護する仕組みの重要性が指摘されていた。部分的には2004年に「法令違反行為を労働者が通報した場合、解雇等の不利益な取扱いから保護し、事業者のコンプライアンス(法令遵守)経営を強化する」ことを目的とした公益通報者保護法が成立し、公益通報者保護制度が導入された。ただし実効性に関する指摘もなされており、いっそうの発展が期待される。 (トップテン)ムネオハウス ”佐々木憲昭(衆院議員・共産党)あっせん収賄、受託収賄、議院証言法違反、政治資金規正法などの容疑で逮捕、起訴、追起訴されている鈴木宗男・元北海道沖縄開発庁長官は、「疑惑のデパート」とよばれた。北方四島支援事業に絡む「友好の家」(ムネオハウス)建設の不正入札問題はじめ、ディーゼル発電所不正入札問題、国有林の無断伐採の製材会社「やまりん」から収賄…。鈴木議員が、報道や部外者のみならず支援や利益を受けている側からも「鈴木」ではなくカタカナの「ムネオ」であるのは、強引な利権誘導・金権政治というスタイルがもはや少々古いということ、所作・行動が少しこっけいな印象を与えるからであろう。受賞者の佐々木憲昭議員は衆院予算委において北方領土・国後島の「友好の家」(ムネオハウス)の不正入札問題等を鋭く追及した。”  ロシア問題に造詣が深い鈴木宗男元北海道沖縄開発庁長官と、鳴り物入りで小泉内閣の外相となった田中真紀子の対立は小泉内閣における頭痛の種となった。その後、自民党を離れ、起訴に至る。その後も新党大地代表などとして政治活動を継続し、民主党政権では与党会派に所属するも、最高裁まで争った結果実刑判決が確定し、国会議員を失職。作家の佐藤優との親交が深く共著を記すなど、その後は論客としての地位を固めている。  田中真紀子は総裁選で小泉を推薦した人物でもあった。舌鋒の鋭さとメディア受けする言説でいえば小泉に勝るとも劣らない田中と小泉はその後、決裂し田中の更迭に至った。他、この年の「トップテン」に「拉致」。2002年9月17日に開催された、はじめての日朝首脳会談において,当時の金正日北朝鮮国防委員長は,長年否定していた日本人の拉致を初めて認めて謝罪することになった。外務省によると、日本政府認定の拉致被害者13名のうち4名は生存,8名は死亡,1名は北朝鮮入境が確認できない旨が提示された。後に、事実調査チームの派遣に繋がり、10月には5人の拉致被害者が帰国した。2004年には第2回の日朝首脳会談が実施され、拉致被害者家族の帰国も実現した。その後も実務者協議などが続くが、今のところ顕著な成果には至らず、日朝間の緊張関係は再び冷え切ったものとなっている。
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今見ても含蓄がある故野中広務氏の言葉
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