劇場型政治と“カリスマ”――00年代、小泉「ワンフレーズ・ポリティクス」の影響力 <「言葉」から見る平成政治史・第4回>

「政治の言葉」を操った小泉純一郎

 2000年代の政治と言葉を考えるにあたって、さしあたり長期政権だった小泉内閣とそれ以外をわけて考えられる。  小泉内閣は新しい政治と言葉の使い手だった。小泉は小選挙区制がはじめて導入された96年の総選挙に勝利した橋本龍太郎に2001年の自民党総裁選で競り勝ち、自民党総裁、そして総理の座を射止めている。在任期間中、新語・流行語大賞に多くの小泉、そして小泉内閣の言葉が取り上げられていることからしても、小泉の発する言葉が政治の世界に限らず、広く支持された様子が伺える。 「劇場型政治」と言う言葉は政治家に向けられるべきなのか、それとも政治家の特定の発言を切り取り伝えるメディアに向けられるべきなのかという選択は難しい。小泉を除くと、多くのマスコミは失言が相次いた政治家らの失言を辛辣に評価しながら報じていた。ノミネートされた言葉を通しで、見ていくとその様子は垣間見えてくる。メディアは批判的に論じていなかったわけではなかった。2000年初頭において、新たな手法が模索されていたが、それでも選挙運動の主要な戦場はマスコミだった。そうはいっても新聞は少しずつ部数を減少させていたが、テレビのなかでも政治を専門に扱うわけではなく、情報番組、いわゆるワイドショーにおける取り上げられ方が検討対象になっている。報道番組に比べると、政治の話題に割くことができる尺が短く、さらには報道番組ほど専門性やチェックが乏しいという事情にうまく符合していた。  話を聞く限りでは、この時期、小泉的なものにマスコミが加担しすぎたという話はメディア業界、とくにテレビ業界では共有されてもいるようだ。小泉が発する言葉は、短く、歯切れがよく、テレビで映えた。言い換えると、短いゆえに編集しやすかったともいえるし、コメント等を通じて多義的な解釈や演出が可能な余地があった。  そのような事実は薄々メディア関係者には理解されていた。しかしわかっていてもとめられなかった。実際の日々の選挙運動や政治活動と、言葉は絶妙な相互補完関係に置かれていた。刺客や抵抗勢力など、形容する言葉もそうだ。「ワンフレーズ・ポリティクス」は政治に対する定見に乏しく、振れ幅が大きな無党派層に訴求する効果的な手法だった。  政治とメディアが共犯関係となった時代に何が語られたのかを改めて見ていくことにしよう。前回同様、「『現代用語の基礎知識』選 ユーキャン 新語・流行語大賞」のサイト内の「過去の授賞語」を通じて、それぞれの年から1語程度ずつ広義の政治に関わる言葉を選評とともに取り上げて論評する。

政治とメディアが「共犯関係」になった時代の「政治の言葉」

●2000年 (年間大賞)「IT革命」木下 斉(早稲田大学高等学院高校三年) ”情報技術(Information Technology)分野での革命が、経済の新たな成長を担うとともに、国家・社会・企業等の組織を変えていく現象。コンピュータの高性能化、低価格化と通信の大容量化、高速化を二つの柱とするIT革命はインターネット利用を急速に普及させ、電子商取引の比重を大きく高め、企業間および企業-消費者間の直接取引を増やしている。一方、IT革命の波に乗る者とこれに乗り遅れる者の情報格差(デジタル・デバイド)が問題となっている。IT革命のもたらす光と影については九州・沖縄サミットでも注目された。”  2000年代に入って、「インターネット」は単なるバズワードではなくなり、職場、家庭への本格的普及を見せ始める。静止画や動画を比較的高速にやり取りできるブロードバンドが事実上の標準的なインフラとなったことの影響や、「IT立国」を掲げて、官民挙げた取り組みや先に言及した「iモード」を始めとするインターネット接続可能な携帯電話の爆発的普及が功を奏した。  任期中に急死した小渕総理の跡を密室の合議で継承し、「神の国」発言など失言が相次いだ当時の森総理はこの「IT」を「イット」と発音し失笑を買った。だがそれでも2000年代前半の日本はビジネス、社会、文化の面で明らかにインターネット先進国であった。2000年の年間大賞に「IT革命」が選ばれているのはまさに当時の雰囲気や期待感を物語っている。  確かに「インターネット」には、日本社会の負の部分を迅速に解決してくれそうな予感がした。その予感は相当程度、素朴なものであったが、2000年代にはブログのヒット、ソーシャルメディア、SNSの流行と普及、AIブームなど、幾度かの同種の技術的、社会的な盛り上がりが繰り返されることになる(仮想通貨や自動運転、共有経済(シェア)的なものなども該当すると考える人もいるだろう)。  しかし現在ではそれほど楽天的に、しかも短期間に日本の政治や社会をインターネット関連技術がしかもより良い方向に変えてくれるという楽天的な感覚をもつことは難しいのではないか。「カリフォルニアン・イデオロギー」などと呼ばれることもある自由至上主義と反権力が結びついたエンジニア・カルチャーがなぜ日本ではあまり一般には共有されず、『動員の革命』や『ネットで社会を変える』(いずれもジャーナリスト津田大介の著作)といった期待がもたれながらも、大規模で恒常的な変革に結びつかなかったのかという問いは再度問うてみる価値があるようにも思われる。 (トップテン)「『官』対『民』」 福田 昭夫(栃木県知事) ”長野県では、2000年10月の知事選で市民活動への積極的な参加でも知られる田中康夫知事が前副知事らを破っての当選。その選挙の構図は新聞、テレビ等のメディアで「『官』対『民』」という言葉でクローズアップされた。そして、11月には栃木県知事選で無党派の福田昭夫知事が6党相乗りの現職知事を破っての当選。ともに「草の根運動」の選挙活動を行い、民衆が組織に勝った選挙として注目された。” 「保守王国」長野での田中康夫の奮闘は90年代からの地方分権や直接的には地方分権一括法等の流れを汲むものであった。  無党派層を勝手連的かつ緩やかに組織する手法は、インターネットとの相性もよかったとされる。その一方で官と民を対立させながら、政治的存在がさも後者の味方であるかのようなふりをして舌鋒鋭く前者を批判する手法は現在に至るまで、一定の支持を集めやすいため踏襲されている。 「行政改革」を旗印にした過剰なコスト削減政策との相性が国、地域問わず良い。  たとえば小泉内閣が取り組んだ郵政民営化や各種の特殊法人民営化の題目にもこの構図が用いられた。橋下徹元大阪市長らによる大阪「改革」も同様である。地域代表的性質の強い少数政党を国政で立ち上げ、うまくときの与党に影響力を行使しながら大都市地域特別区設置法の立法を実現し住民投票に持ち込んだその手法は田中的手法のひとつの完成形だったと見ることもできる。  いまも官対民の構図の人気は根強く、国政では一時期の勢いは見られないが、地域政党や首長、地方議員など地方政治ではいまも頻繁に見かける主張である。もちろん日本型官僚機構の課題は少なくないが、前田健太郎『市民を雇わない国家――日本が公務員の少ない国へと至った道』(東京大学出版会、2014年)など優れた仕事が指摘するように、日本の公務員数は総定員法によって管理され人口比でみたときには必ずしも諸外国より多いとはいえず、その一方で行政業務の拡大を通じた疲弊や官僚機構に対する過剰な不審感情の将来も指摘される。センセーショナルで溜飲を下げ、カタルシスを生むが、果たして現実生活を実際に改善しているかどうかはよく注視する必要があるだろう。
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ワンフレーズポリティクスで変質する日本
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