里山の空気と鳥や虫の鳴き声をサラウンドに、自分の区画で田植えする人たち
生きていれば死に際まで、悩みは尽きない。こんなに物にあふれ、便利で不自由ないはずなのに、多くの人のいちばんの悩みは“生存”についてかもしれない。そしてそれには2種類ある。
「生存そのもの」
「生存の意義」
だ。戦後最長の景気拡大などと喧伝されているが、その実はますます格差が広がって低所得が多数となり、経済的に厳しく生きざるをえない人が増えている。収入が少ない人ほど不安は大きい。これは「生存そのもの」の苦悩だ。
一方、収入がある人も、競争社会にあって脱落したら生存を脅かされるのだから、不安が絶えない。競争を生き抜いて収入を確保するために、会社や上司の理不尽な指示に従うこと、法に触れること、道徳に反すること、世の中を悪くすること、人のためにならないことをしなければならない。要は“魂を売ること”が増えてゆく。「本当にこれでいいのか!?」と自分自身に問い、「生存の意義」に苦悩する。
穂がつき始めたイネ
人は食べ物があれば生きて行ける。それは「生存そのもの」だ。そして、食べることこそ生きる喜びであり、カルチャーだ。美味しく楽しく食べることは「生存の意義」の大きな一部になる。
お米が主食の俺たち日本人は、お米を自分で作れれば生きていけるのである。このことで「生存そのもの」の苦悩が解消される。また、米を作ることはそれがどんなに小規模でも、世の中を良くすることに貢献する。食の安全や耕作放棄地の再生、地域貢献に始まり、多岐にわたって好循環が生まれる。だから感謝される存在になれる。このことで「生存の意義」もだいぶ解消される。
「お米を作るのは農家さんでないと無理だ」と考えるのが普通だ。ところが実は、米作りは誰でもできる。俺は都会育ちで「土も虫もキモくて触れない」キャラだったのに、39歳で知識ほぼゼロから米自給に臨んだ。それから10年、“半農半バーのオヤジ”として、隔週程度で池袋から千葉県匝瑳(そうさ)市に2時間かけて通いながら、年間で20日ほどの作業で、毎年お米を作ってきた。
その場所は、低い丘のような里山に囲まれた、近代的構造物など視野に入らない、緑と空と田んぼしか見えない桃源郷。土も虫も平気になり、自然への感謝の心に変わった。農作業での疲れが都会での疲れを一掃し、心身は癒され充電される。米作り3年目に NPO「 SOSA PROJECT」 を創設し、「マイ田んぼ」と称して毎年30人に米作りの機会を作っている。過去合計200人以上の参加者があり、その中で米を作れなかった人はいない。