なぜ創業87年の電線メーカーは「キャビア作り」を始めたのか? 老舗中小企業の生存戦略

コードレス化で創業以来の電線事業が危機に

 金子社長が3代目社長に就任したのは2005年。38歳の時だ。当時、会社の業績はどん底だった。というのも、携帯電話を筆頭に電話機が「コードレス」化し始めたのだから大打撃。普及で固定電話機主力の電線事業は低迷していた。その後、苦境を救うことになる医療用カテーテル事業も販売がスタートしたばかりで、大した売上もなかった。そんな中で銀行からの貸し剥がしに合い、事業は困窮を極めたという。 「再び会社を持ち直せたのは、父が苦労しながらもカテーテル事業を立ち上げたことと、中国にケーブルの生産拠点を作ってくれていたおかげでした。もしも父親がリスクを恐れて何もしていなければ、今の金子コードはなかったと思います。当時は『見込みのない異分野の開発などやめろ』と随分、社内で反対されたと聞いていますが、あの時よく決断してくれたとつくづく思います」  医療用カテーテルを開発販売するメディカル事業が黒字化するまでには10年の歳月を要したという。苦労しながらも新しいものを開発して事業を起こし、しっかり育てるのが金子コードのDNAだと、金子社長は言いたいようだ。  カテーテル事業も軌道に乗ったが、かつての苦境を知っている金子社長は、新規事業を探すプロジェクトをスタートさせる。2014年のことだ。  「いままでやっていた分野から」ではなく、「まったく新しい事業」を、すなわち、「0から1を作る」事業を開拓するため「ゼロワンプロジェクト」と名付けられた。そのけん引役となったのは、この会社に根づく開発スピリッツを若手に継承したいと望む、40代の幹部陣だったという。
ゼロワン

「ゼロワンプロジェクト」は3年毎に期を分けて全9年で完結する

 金子社長がまず白羽の矢を立てたのが、電線部の部長として電線事業を統括していた責任者だ。  「その男性幹部社員には、時間もお金も心配しなくていいから、有望な新規事業の芽を世界中から集めてきてくれと頼みました」

「10年かかる事業は大手は手を出さない」

 事業アイデアを探す上で、以下の2つの条件を提示したという。 ①これまでの事業の延長線上にないもの。 ②事業を作るのに最低10年がかかるもの。  ①は、過去の事業から発想してしまうと視野が狭くなってしまう懸念からだ。②は、簡単に他社にまねされないためだったという。 「中小企業が苦労して作った市場に大企業が後から入ってきてさらってしまうのはお決まりのパターンです。簡単にまねされないよう、黒字化するまでに10年はかかる事業を起こしたかったんです」  金子社長は大企業の経営者の在任期間を平均6.2年であることを知っていて、それ以上かかる事業を想定していたという。  その幹部社員は社長からの特命を受け、アジア放浪の旅に出る。その途中で、うなぎの養殖や農業の可能性などの報告を金子社長に届けた。 「彼から事業案が続々と入ってくる中で、少しずつ食品がよさそうだと、領域を絞っていきました。世界の人口が爆発的に増加している中、食糧自給率が低いこの島国に、食の安定をもたらすビジネスを起こすことは意義のあることだと考えるようになっていったんです」
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思わぬところで活きた「製造業」で培った視点
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