「カルト」の基本的な定義は、「違法行為や人権侵害を行う団体」である。現実問題として、これらのうち特に宗教的なものや精神性の強い集団・人物の問題が、「カルト問題」として扱われている。
子供への医療ネグレクトは児童虐待であり、子供への人権侵害だ。この点で言えば、親に医療ネグレクトを行わせる宗教は「医療カルト」と呼んでいいだろう。しかし、こと医療をめぐる問題では、宗教性だけではなく「科学を装う要素」が重要になる場面が多々ある。
前出の
堀洋八郎は、アメリカの「
パシフィックウエスタン大学」で薬学博士を取得したと自称していた。この「大学」は米国において非認定のものであり、金を払えば公的には通用しない「学位」と称する称号をもらえる、「
ディプロマミル(学位工場)」と呼ばれる。
詐欺罪で有罪となり服役(すでに出所し活動再開)した「
法の華三法行」の教祖・
福永法源も、この「
パシフィックウエスタン大学」から得たものとして芸術学や哲学の博士号を自称していた。
堀は宗教の教祖として振る舞う一方で、こうした肩書により、さも医学や薬学の知識があるかのように装っていた。団体のスタッフには、看護師までいた。
亡くなった少女は次世紀ファーム研究所の施設内で体調を崩すが、スタッフらはそれを「
好転反応」だと母親に説明した。
「
好転反応」という用語は、同団体に限らず
民間療法や健康法の「業界」でしばしば使われる。その療法を受けている最中に病状が悪化することを、快方に向かうプロセスなのだとする理屈だ。逆に言えば、「
具合が悪くなるということは、この治療法が効いているということ」になる。
これを科学だと主張するかどうかは団体・療法によって異なるが、いずれにせよ、非科学的な因果関係をさも客観的な理論であるかのように装うレトリックだ。「宗教」のようでもあり、「ニセ科学」のようでもある。これが、病状悪化時の医療の必要性についての判断を誤らせる。
この「好転反応」の論理によって、次世紀ファーム研究所内で体調を崩した1型糖尿病の少女は病院に搬送されることなく、119番通報がなされたのは呼吸停止に陥ってからだった。
MC救世神教も、手かざしでの病気治しを「科学」だと主張する。すでに削除されたが、MC救世神教のウェブサイトには、1954年に書かれた岡田茂吉のこんな文章が掲載されていた。
〈私は医学は非科学であるというのである。(略)要するに現代医学は根本が不明である為合理性がない低科学である。これに反し浄霊医術は合理的高度の科学であり、未来の科学である〉
信者の体験談の中にも、こんなものがあった(これもすでに削除)。1歳8カ月の次男が突然、意識を失い呼吸停止になったという母親信者の体験談だ。
〈まもなく次男の頭から多量の汗と白い湯気のような煙が出て、小さな声で呻(うめ)いて泣き出しました。しかし、それまでの2~3分程の時間が、私にはとてつもなく長く感じました。
翌日、教会へお礼参拝に上がりました。会長先生に報告させていただくと、頭から出た湯気のようなものは、頭の毒素であると教えていただきました。
その後も次男は40度を超える高熱が出て、白い湯気を何度も出しました。〉
「好転反応」という言葉は出てこないが、呼吸停止した子供を病院に連れて行かず「浄霊」を試み、明らかに高熱を発していると見るべき「白い湯気」を、毒素が出ていく良い傾向であるかのようにとらえている。
そもそも教祖・岡田茂吉は、病気全般を身体が体内の毒素を浄化するための反応であり、それに伴う苦痛が一般に病気と呼ばれているものである、とする趣旨の文章も発表している。言ってみれば、全ての病気は「好転反応」だとするかのような発想だ。
しかし仮にそれを信じるとしても、幼い子供の高熱は後遺症が残ることもありうるし、呼吸停止に至るほどの病状なら当然、命の危険がある。「毒素が出ている最中だ」と喜んで放置していいはずがない。
信者に「浄霊=手かざし」こそが科学であり病気を治せると信じさせ、信者の膨大な体験談を掲載することによって、それを実践することには効果かがあり尊い行動であるかのように煽る。これが、三重県で麻疹の集団感染をひきおこしたMC救世神教だ。
同じく世界救世教の分派である前出の新健康協会のウェブサイトにも、やはり岡田茂吉の文章が掲載されている。「霊的医術」と題する1943年発表の文章で、自らの病気治しをこう説明している。
〈然るに、私の医術においては、右の如き観念の援助は更に要らないのであるから、宗教化するという必要がないのみか、前述の如き幾多の不利があるのである。故に私はあくまで科学を以て自認し、科学として世に問わんとするのである。即ち未来の科学、最尖端科学として、日本人によって創始せる世界的医術たらしめん事を期するものである。〉
本来、浄霊は科学なのであって宗教化する必要はないのだとまで力説している。