元サッカー日本代表・戸田和幸「今だから話せる2002年W杯秘話」

現在は、解説者・指導者として活躍する戸田和幸

 2002年W杯、赤いモヒカンの勇姿が記憶に残る元サッカー日本代表・戸田和幸。  前回は解説者としてみた久保建英とキリアン・エムバペについて語ってもらったが、現在の戸田はサッカー指導者でもある。今後間違いなくJリーグ指導者としてステップアップしていく男に、「あなたが日本代表監督なら誰をセンターバックに指名して、どうエムバペ対策をするのか」問うてみた。 「いや、あれは誰がやっても止められないですね。そうは言っても監督になったら何か対策を打たなければならないのですが……センターバックか……やっぱり吉田麻也を中心に守備を作っていきますよね。組ませるのは誰か。富安も成長してきているし昌子もいいんじゃないですかね。でもどのみち一人で止めることは難しいですから、できることがあるとすればまずはエムバペにボールを渡さないようにパスの供給源を絶つ。その上で、エムバペを危険ではない場所に追いやっていく。そういう作業を積み重ねるしかないでしょうね。でも、エムバペだけに注意が向いてしまうと近くにはグリーズマンもいますから、苦しい展開になることは間違いありませんね」  周知の通り、現役時代の戸田といえば「潰し屋」としてファウル寸前の手を使って対戦相手の絶好機の芽を摘んでいた。2002年ワールドカップの対ロシア戦でも、ペナルティエリア内で相手選手の後ろから肩に手をかけ一つ間違えるとPKという場面もあった。そういうとき、戸田はいかにしてファウルをもらわないようにしていたのか。 「もうああいう場面になったら感覚だけです。考えているヒマはありませんから。あの場面でも、ファウルと言われたらファウルだと思います。ただ実際には笛は鳴らなかったので助かりました」  実は、今回のインタビューが実現したのは、以前ご登場いただいた地頭薗雅弥の紹介だった。クラウドファンディングで活動資金を調達し、プロ復活を目指す彼は、ここ数か月戸田のいる慶應大学で練習を続けている。地頭薗によると、「たしかに、カズさんって昔のことを全然言わないんですよね。2002年のことも全然聞いたことがないです」という。  それを承知の上でも、筆者はどうしても確認しておきたいことがあった。かつて、川淵三郎キャプテンは、トルシエ・ジャパンを評して、「トルシエ・ジャパンは団結していた。反トルシエで団結していた」と語ったことがある。この言葉はどれくらい真実なのか。 「いや、そんなことはないと思いますよ。トルシエが上層部の人からどれくらいうけが良かったのかは選手にはわかりませんけど、選手間にそういう反トルシエ感情というものワールドカップ時に既に存在しなかったのではないかと思います。秘蔵映像の中に、選手たちがみんなでトルシエをプールに落として、トルシエ自身もプールに落とされるのを楽しんでいる映像も残っていますから、ああいうのを見れば監督と選手の関係が悪くなかったといえるのではないでしょうか」  トルシエ語録に「私の教則本は500ページある」というのがあった。戸田は500ページのうち何ページを見せられたのだろうか。 「500ページ? そんなになかった気がするけどな(笑)……練習メニューもアンダーの世代から繰り返し行ってきたものが多かったように記憶しています。ただ、3バックに対しては彼のサッカーの代名詞的なところもあったので守備の練習は多かったですね。3対7の練習もあったように記憶しています。攻撃側7人に対し3人で守る練習ですね。攻撃側が何人であっても3人の連携が取れていれば守れると励ましながら繰り返し行っていたのは覚えていますね」  日本はベルギーに引き分け、ロシアとチュニジアに勝ち、グループステージを突破した。あのトルコ戦で誰もが驚いたのは、それまで出場がなかったFW西澤明訓の先発1トップではなかったか。戸田は、選手の立場であの日の西澤先発をどう捉えていたのか。 「驚いたと記憶しています。しかも、確かあのときのアキさんは体調も完全に戻っていなかったのではないかな……(筆者註:当時の西澤は虫垂炎手術の直後だった)ただね、今自分が指導者の立場になってわかりますけど、トルシエは決して決勝トーナメントをボーナスとはとらえていなかったし、アキさんの先発もほかの選手たちの疲労などを考慮して勝つために最善の選択として出したと思います」
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競争の厳しさを思い知ったイングランド時代
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