14年間、すべてのお客の「多様性」を担保し続けてきた
どんな人もが横並びで語れる「たまTSUKI」の店内。このカウンターに歴史が刷り込まれている
「たまTSUKI」を、どんな人にも民主主義と安心を担保した店にしたかったのだ。最近は、性的マイノリティや発達障がいや鬱、脱原発を語ることなども認知されるようになり、多様性の社会に成熟してきた。その反面、今回の安田さんの件然り、在日の方々へのヘイトスピーチ然り、外国人労働者の方々(しかも欧米人ではなく、途上国への人々への)へのバッシング然り、昨今、屈折したナショナリズムも台頭している。
要は、自分より立場の弱い人をバッシングする。「弱きを助け、強きを挫く」でなく、「強きに媚びて、弱きを挫く」である。そりゃそうだ、仕方あるまい、今のこの国の総理大臣や財務大臣を筆頭にして、「大臣」と名がつく人たちにそういう人が多いのだから。
さらには太平洋の向こうの大統領も、そういう人だし。人の不幸に乗じ、想像と共感もできず、一側面だけを切り取って弱い人をディスるような屈折した人々の出現は、この国のトップの人たちの人格と比例するのだ。
「たまTSUKI」には、私の嫌いなイデオロギーの人も来たし、元総理大臣も来たし、現総理大臣夫人も来た。当店にあっては、彼らは俺と考えが違うのだから肩身が狭いはずだ。俺は皮肉もこめて、違う意見をちゃんとその人たちに面と向かって伝える。一方、周りのみんなが寄ってたかって彼らを責めたてるような雰囲気になれば、俺が間に入って彼らを守った。だから、俺と考えが真逆の人たちも、何度も何度も「たまTSUKI」に来てくれたのだ。
数え切れない人たちが、この店で「実は○○なんです」と明かしてくれた。俺だけに、ということではない。見ず知らずの人が隣に座っていても、そう語り出してくれた。この店では、どんな人もバッシングされることがない。もちろん圧力をかけられることもない。嫌がらせもない。意見の相違や激しい議論があっても、相手を必ず尊重する。
それが成熟した民主主義であり、多様性の担保だ。だからこの店には、多種多様な人が来てくれた。自殺を考えている人から社長や政治家まで、肩書きや過去にとらわれず横に座り、同じ視線で、自分を語り、相手の話を聞き、互いに尊重され、安心できる場所。
14年間もいろんな人たちから愛してもらったのが「たまTSUKI」であった。それは、多様性の担保と民主主義の担保を、少なくとも現政権より大切にしていたからだ。愛してくれた皆さん、ありがとう。