人に「謝れ」って言えた筋合いか、そんなにあなたは偉いのか?
帰国後の会見で、深々と頭を下げる安田純平さん。いったい誰がどの顔で「謝れ」と言っているのか
俺はジャーナリストでもなんでもないが、普通の人よりは安田さんのことを心配していた。なぜかといえば、2004年にイラクで3人の活動家が拘束された時に、俺なりに彼らの救出のために細やかながらも行動した経験があるからだ。俺は当時シンガポールに3か月だけいたのだが、日本大使館に、自己責任を煽る政府の卑怯さと3人の救出のための請願書を拙い字で書いて出しに行ったのだ。
安田さんが拘束されて間もない頃、安田さんのジャーナリスト仲間である常岡浩介さんが、俺の営んでいた小さなオーガニック・バー「たまにはTSUKIでも眺めましょ」に来店してくれた。
常岡さんは、当時すでに外務省の想いのある方と連絡を取りながら、安田さんの救出のために動いてた。俺は俺で、安田さんが拘束されたにも関わらず、安倍政権として何の行動もしてない様子に憤りを持っていた。だから安田さんのことを時折思い出しては「どうか生きて帰れるように」と願っていた。
普通の人よりは安田さんを心配していた俺が、安田さんの解放を聞いたとき、嬉しいと思うのは当然。だから「ありがとう」という言葉が嗚咽気味に思わず口に出たのだ。「心配したんだから謝れ」なんて一粒も思わなかった。要は、あまり心配もしてない人、迷惑もかけられていない人、民主主義の担保が何かわからない人が「謝れ」と言っているナンセンス。
絶望でこのドアをくぐり、狭い店内で心をあたため、希望を携えてドアをくぐり家路につく。絶望と希望が同じ数だけ、このドアを過ぎて行った
先述した、イラク戦争の折に拘束された3人のうちの1人、郡山総一郎さんが「たまTSUKI」に来店くださったこともある。最初、郡山さんとわからなかったが、次第に会話の節々からふと「もしや」と思い、お名前を尋ねたところご本人だった。そのときも、涙がこみ上げた。
思わず「あのときはありがとうございます」と伝えた。自己責任などというあれだけいわれのないバッシングを受けてもなお、こうしてちゃんと真っ当に自分の道を生きておられる。「たまTSUKI を営んできてよかった」と思った瞬間だった。
俺が14年前に「たまTSUKI」を開業した大きな目的の一つに、「マイノリティの方々が身分を明かして堂々と語り合える場にしたい」というのがあった。例えば、在日の方々が他者の目を気にすることなく普通の声で語り合い、議論できる。障がいを持った方も横並びで語り合える。性的マイノリティの方も安心して心の内を表明できる。
人には言えない被害、隠したい過去、思い出したくない辛い経験を持つ女性も、この店では語れる。脱原発を語るにも、14年前は変人扱いされた。辺野古の基地やダムの建設に反対を訴える人も「危険人物だ」なんて思われがちだった。デモに参加する人を、政治的に偏った人と思う人がまだまだ多い。
そういう人たちが「たまTSUKI」では、思想信条やイデオロギーを超えて、安心して語り合える。もし、それで何か危険なことに発展しそうなら、それを俺がちゃんとコントロールする。強権的に振る舞う人や、人の話を最後まで聞かずに自分の考えだけぶちまけている人や、共感力のない人は、悪いが店主という権限を持って俺がその人を排除する。
決してイデオロギーで排除はしない。俺と真反対の考えの方であっても、それで追い出すことはない。むしろ真逆の考え方を知られて学びになる。だから、ハードな議論をしても、最後には「今日はいい話ができました、ありがとう」と見送ることができた。
追い出すのは、相手を尊重できない人。俺の考えと同じだろうと相違してようと、その理由を伝えて帰ってもらう。まぁ、そんな人は14年間で数人だけだったが。笑えることに、追い出された人も、またバツが悪そうな顔をして半年か1年くらいすると来てくれる。多分、俺が伝えたことを時間とともにわかってくれたんだろうと思う。だから再来店したときには、それに追い打ちをかけたり、突っ込んだり。追い返したりなどはしない。