SUGIZOが見たパレスチナ。難民キャンプ支援ライブに密着

難民キャンプで行った、手づくりのライブ

ラマラ市役所ホール

ラマラ市庁舎ホールでのライブには入りきれないほどの人が集まった

 そして今年、「20年来の夢だった」というパレスチナを訪問し、3か所でライブを行った。主催者として企画から現地での調整にあたったのは、インターナショナル・カルチャー・エクスチェンジ・ジャパンの山本真希代表だ。2016年にもラマラで文化交流コンサートを開催している。 「国や政治でパレスチナの問題に関わることは重要ですが、民間の交流を通じて状況を訴え、変えていくことも重要だと思っています」という山本さんは、現地の文化振興NGOらと協力し、ライブ会場や設備の準備を進めていった。  何でも揃っている日本とは違い、楽器やPAシステムなどライブに必要な機材をそろえるのも難しい。キーボードはゴラン高原に住むシリア人の知人が、シンバルスタンドとスペアのエレキギターは、イスラエル人の協力により西エルサレムの楽器屋から借りることができた。  他にも日本政府や国際協力機構(JICA)、国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)、ボランティアに駆けつけてくれた多くの友人たち、それぞれが協力し合うことで実現した草の根のライブだった。  ひとつ目のライブはラマラ市にある市庁舎ホールだ。数百人の聴衆の前にSUGIZOさんのソロプロジェクト「COSMIC DANCE QUARTET」の面々が登場した。 「いったいどんな音楽が奏でられるのだろう」  きっとそんな不安と期待でステージを見つめていたであろう観衆を前に、爆発的なビートが炸裂した。前衛的なエレクトロニックミュージックに、空気を震わすドラム、圧倒的な世界観を網膜に焼き付ける映像、そこにSUGIZOさんのギターから紡がれる6弦の響きが加わると、観衆は一瞬にして別の世界に飛ばされたようだった。 ラマラ市庁舎ホールの観客 聴いたこともない音楽に初めは戸惑っていた人々も、心臓の鼓動のような重低音に体を揺らし始める。気が付けば、会場全体がひとつの生き物のようにうねりはじめていた。この日のために準備をしたアラブ伝統音楽の演奏では、会場総立ちでの合唱が始まった。音楽が、国境を越えた瞬間だった。  ステージではその後、パレスチナの伝統刺繍を用いた和服の帯をつくる「パレスチナ刺繍帯プロジェクト(ICEJ主催)」によるパレスチナ刺繍帯を用いた着物ショーも催され、日本人やパレスチナ人の参加者らが優雅に舞った。「文化は人々を結ぶ架け橋になれる」。多くの人々がそう感じた夜となった。
アイーダ難民キャンプ

ベツレヘムのアイーダ難民キャンプでは、アートセンターの屋上を使用しライブを行った。子供たちが大はしゃぎし、中には飛び跳ねたり側転したりし始める子も

 2回目のライブは、ベツレヘムにあるアイーダ難民キャンプでの演奏となった。会場となったのは同地区にあるアートセンターの屋上。そこからは、人々を分断する灰色の壁が近くに見える。何度も階段を上り下りして機材を運ぶ、「手作りのライブ」だった。日の傾きかけたころ、近隣の子供たちを招いての演奏が始まった。
SUGIZOさんと子供たち

はじめて見る楽器や機材に興味深々の子供たち。実際につまみをいじり、音の変化を楽しんでいた

 舞台もない、照明もない、子供たちと同じ目線でのライブ。熱狂した子供たちが立ち上がり踊り始めた。「今までで最年少の観客たちだった」と語る演奏後のSUGIZOさんに、バイオリンを弾かせてもらおうと子供たちが群がってきた。SUGIZOさんは「この子たちの中から自分も音楽をやりたいと思うような子がひとりでも出てきてくれたら嬉しい」と話す。
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音楽があらゆる“壁”を飛び越えた
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