抗日遊園地にラブドール仙人の庵!? 秘境ライター3人が選ぶ、「世界のさいはて」とは?
2018.11.17
さいはての中国』刊行を記念して開かれたトークイベント(10月7日、下北沢「本屋B&B」にて)に、アジアを舞台に取材し続ける3人のライターが集結。それぞれの「さいはて見聞録」を語り合った。
この日集まったのは、フィリピンを中心にアジアを取材している水谷竹秀氏。中国取材をライフワークにしている安田峰俊、西谷格の両氏。
ここでの「さいはて」とは、単に辺境だけを意味するわけではなく、誰も気に留めず注意を払わないけれど、その国の未知の素顔を意味する言葉といった意味合いだ。
まずは「口で言っても難しいので」と先陣を切った安田氏が発表したのは、彼の中での「第3位」である陝西省の「習近平村」だ。
陝西省は、習近平の父親の習仲勲の故郷であり、彼が党のトップになった2012年前後から、仲勲の墓所や旧居、記念館などが整備されているという。
上の写真は(陝西省の省都)西安の郊外のほうにある習仲勲の墓。大きさはおよそ4~5メートルほどで、共産党系のボーイスカウトたちが連れてこられ、習仲勲を参拝させられている様子である。
「見ながら複雑な気持ちになりました」(安田氏)。
続いて、文化大革命時代に習近平が下放されていた梁家河という村が紹介される。窯洞という、山肌に穴を掘って生活空間にする現地の伝統住居である。実際に、この写真の住居に習近平が住んでいたという。
この村はもともと人口数百人のただの山奥の村だったが、習近平が主席候補となってからは、地元の幹部らがいきなり観光地化を始めた。今では、10万人の中国共産党員が視察にやってくるのだという。
「現地には博物館ができて、博物館には『20世紀少年』の友達ランドのお姉さんみたいな、共産スマイルの女性がきっちりとしたスーツを着こなしている。彼女たちが『習近平主席は14歳のとき、我が村にいらしゃいまして~』『夜中になると、十何人かの知識青年と一緒に我が村に来て、青年たちは皆、北京の日々を思い起こして泣いたものですが、主席はお泣きになりませんでした』という話をするんです」(安田氏)
続いて中国滞在中に数々のアルバイトを行い、その経験を『ルポ 中国「潜入バイト」日記』として上梓した西谷格氏も「第3位」を発表。
日本でも一時期、ディズニーランドのパクリ遊園地として石景山遊楽園が話題になったが、西谷氏が今回バイトしたのは山東省にあるパクリ遊園地である。
「これを取材したのは、4年ほど前です。当時ですらだいぶ減ってましたが、山東省のものすごい田舎にひとつ、発見したのです。実際、倉庫に行くとミッキー風、ドナルドダック風という着ぐるみもありまして・・・・・・。『西谷さん、荷物持ってって~』と言われ、倉庫に手伝いに行ったら、たまたま倉庫の奥で発見しました。あ、いるじゃんと思って、『これ、被らせてもらえませんか』と部長さんに伝えたら、『ちょっとこれは今はダメなんだよ』といった反応でした。『とにかくミッキーはダメ』と」(西谷氏)
西谷氏が後で同僚に聞くと、ミッキーとドナルドは版権があるから使えないと上層部からストップがかかっていたのだという。ただ、小人だけは可能だった。彼らの説明によると、キャラクターではなく小さい人という理解であり、「小さい人になんらの著作権はない」とのことだった。
「私は『それなら小人役をやりたいです』と言うと、『男性は背が高いから小人にはなれないんだよ』と。そこはリアルを追求してたみたいですね(笑)。『じゃあ、あなたはピエロ役をやりなさい』ということで、ちょっと派手な格好をしてパレードに出て、一緒に盛り上げたのが上の写真です」(西谷氏)
パクっている人たちに悪気はゼロ。訴えられたらどうするのかと聞くと、「いや、もうみんなパクってるから、うちだけピンポイントで訴えられるわけないじゃん」という返答だったという。
まだ見ぬ地を求めて、若者は世界にわたった。小田実や沢木耕太郎らの旅行記が支持され、彼らの旅程をトレースするバックパッカーも多く現れた。しかし、ネット全盛時代、どんな秘境も辺境も、パソコンさえあれば簡単に情報を得られる。地理的な空白地帯はほぼなくなった今、世界にはいかなる未知が残っているのか。安田峰俊氏の新著『
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