橋が破壊され二階まで浸水した肱川大水害被災地。傷痕は今もなお一目瞭然

無残な橋の残骸に言葉を失った大洲市大川地区取材

 道の駅清流ひじかわを出発し、肱川左岸を国道197号線で大洲市へ向かいます。  道の駅清流ひじかわを出発し、途中、右手道路下に水害によって大被害を受けた大洲高校肱川分校を見ながら、3.2km走った地点で国道197号線の崩壊箇所を通過します。この大規模崩壊箇所で国道197号線は、3週間以上通行止めとなっていたそうです。
国道197号線の崩壊箇所

国道197号線の崩壊箇所。 2018/11/12撮影

崩落した国道197号線

道路下から見た国道197号線の崩壊箇所 手前のパイプ穴と溝がこの谷を流れる小川。2018/11/12撮影

 ここは、支流が流れ込む小さな谷を埋め立てて作った道路が破壊されているのですが、国道197号線のような昭和末から平成中期にかけて改良された国道には、たいへんに多く見られる脆弱点です。更に700m西進した地点で、右手に水害によって大破した太陽光発電所をみます。
kWh級太陽光発電所

道の駅ひじかわから3.9kmの地点で道路右手に大破したkWh級太陽光発電所を見る。隣接する家屋の被災状況から1階全没と判定。肱川は木立の後ろで見えない。2018/10/1撮影

 更に西進して肱川を渡り、肱川右岸を西進すると、道の駅ひじかわから6.2kmの地点で、肱川の中になにか変なものが見えます。
崩落した大成(おおなる)橋

崩落した大成(おおなる)橋。国道197号線成能(なるのう)バス停付近より撮影 対岸は大川郵便局2018/10/1撮影

 すぐに引き返し、路肩に車を止めて調査開始です。  はじめは舟かと思ったものは、橋梁でした。大成(おおなる)橋(参照:大洲市道「大成橋」橋梁災害復旧事業及び宇和島市吉田町市道災害復旧事業の受託について 愛媛県庁)という道路橋が崩落していました。この橋梁は、車道部1972年、歩道部1988年建設で、それほど古いというわけではありません。車両は交互通行となりますが、国道に出るためには重要な道路です。 大成橋の崩壊は、7月7日午前9時頃に生じたという地元住民の証言(参照:西日本豪雨 「ドーン」鉄橋砕いた濁流 放流の朝、水位急上昇 愛媛・肱川 毎日新聞2018年7月26日 大阪夕刊)があり、これは鹿野川ダムの最大放水時の水が大川町に到達した時間に近いです。 大成橋の被災については、愛媛大学からも調査の概要(参照:大成橋被害調査(7/12) 愛媛大学災害調査団)が伝えられていますが、愛媛大学による調査が行われた7/12と私が取材を行った10/1以降とで状況は変わっていません。現場はよく保存されています。大成橋は、橋脚折損により歩道と車道が分離しながら崩壊していることがよくわかります。  前回ご紹介した鹿野川大橋も左岸橋台洗掘が進行すれば大成橋と同じく崩壊していたわけで、その場合の二次災害、その後の影響は甚大なものとなっていました。
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二階までも浸水した痕が色濃く残る集落
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