なぜコスタリカは、難民が発生すると国境を開放して迎え入れるのか?

一本の国境線をまたいで激変する価値観

再生可能電気の国

コスタリカの入国管理局手前では、「コスタリカ:再生可能電気の国」という大きな看板が難民たちを迎える

 コスタリカの入国管理局事務所から実際の国境線まで、約200mの直線道路が続く。コスタリカ側では、国境線ギリギリまで、どこを歩こうが、何の写真を撮ろうが、特におとがめはない。  ふと、どこからともなく流れてくるラテンミュージックが耳をくすぐる。音源を探してあたりを見回すと、道端でどこかの田舎町にありそうなごく普通の食堂が営業していた。実にのんびりとした、平和を絵に描いたような雰囲気だ。  いよいよ国境線に近づくと、警官が2人、熱帯の日差しから逃れるようにテントの下で涼をとっていた。挨拶を交わし、現在の状況を尋ねてみると「以前よりは落ち着いたが、それでも毎日のように多くのニカラグア人が国境を訪れ、コスタリカに入国している」という。そのほとんどが、先に話を聞いた人たちのような、パスポートや身分証明書などの公的ドキュメントを持たず逃げてきた難民だ。  その目と鼻の先に、コスタリカ側最後の(ニカラグアからコスタリカに入る人にとっては最初の)チェックポイントが設けられている。ここで、コスタリカ側の警官がドキュメントのチェックをする。  といっても、そこは簡素な小屋で、座る場所もない。人一人がようやく通れる程度の2mほどの短い通路があり、その中に警官が立っているだけだ。  ドキュメントチェックも極めて形式的なもので、基本的にここで問題が起こることはない。筆者は逆(コスタリカ)側からこのチェックポイントを訪れたが、完全にノーチェックで通された。  その小屋を一歩出た道路上に目をこらすと、地面のアスファルトに白いチョークで引いたような直線がうっすらと浮かび上がっている。それが国境線だ。その一本の線を挟んだ目の前には、国境を警備するニカラグア軍の兵士が銃を持って険しい顔つきをしている。  試しに、ニカラグア方面に向かってカメラを構えるそぶりを見せてみた。ニカラグア兵はその動きを逃さず、瞬時に一層険しい視線を私に投げかけ、ピンと立てた人差し指を左右に振って牽制してきた。  ニカラグア兵士の名誉のために付け加えておくと、撮影を禁止している国境線は珍しくない。むしろコスタリカがゆるすぎると言ってもいい。とはいうものの、この雰囲気の違いは対照的だ。かたや何をしてもおとがめなし、こなた許可なしでは何もできない。  同じ空気を共有しているはずなのに、道路にまっすぐ描かれた線の両側では、空気の重さ・軽さがまるで違う。これが、軍事社会と平和社会の違いだ。ひとつながりの場の中で、人間が持つ価値観の違いが空気まで変えてしまっているようだった。
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「人権問題だからね」と国境の警察官は言った
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