ネタニャフ首相がガブリエル独外相との会談をキャンセルした背景とは?

中東和平とイスラエルとの関係の板挟み

 今回の出来事が発生したことに両国が重みを置く理由は、戦後のドイツとイスラエルの関係を無視しては理解することは出来ない。それは600万人のユダヤ人を死に追いやったナチスによるホロコーストへの責任の重みから、戦後のドイツはユダヤ人に対して道義的に償いをせねばならないという使命を感じているのである。  1965年に西ドイツがイスラエルと国交を結んで以来、ドイツはユダヤ人がドイツに残した財産のイスラエルへの移転を始め、武器の購入費用をドイツ政府が一部負担するといった形での提供、またイスラエルとの積極的な貿易取引などに努めて来たのであった。  パレスチナ問題についても、ドイツは出来るだけイスラエルの姿勢に添う形で外交姿勢を守って来た。  しかし、最近の国際情勢が変化するにつれて、しかもドイツはEUのリーダー国という立場から、これまでのドイツ単独での外交が展開できなくなっていた。パレスチナ問題についても、ドイツは他のEU諸国と歩調を合わせるような形でイスラエルとパレスチナの二つの国家の共存という外交を選らぶようになっていた。  しかも、イスラエルの一番の敵であるイランとドイツは前者が国連から制裁を受けるまでドイツにとって最大規模の貿易相手国のひとつであった。核合意によって、イランへの制裁が緩和されたことによって、ドイツとイランの取引関係が復活して行くのであるが、ドイツの閣僚がイランを訪問する際には常にイランに対し、イスラエルとの関係改善を要請している。
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影を落とす「聖地」問題
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