新宿は「内藤」という地名になる可能性があった!? オシャレ度で青山に完敗した理由とは

一大歓楽街に成長する中、内藤さんの存在感はどんどん薄まり……

 当時の宿場は、客に給仕する名目で飯盛女(娼婦)が置かれるのが常であり、内藤新宿は狙い通りに、飯盛女を150人も抱える江戸でも有数の岡場所として賑わいを見せた。  幕府の風紀取り締まりで一時期廃止されるも復活を遂げ、戦後の青線地帯(非合法の売春街)、現在の歌舞伎町を中心とした歓楽街へと繋がった。こうした歴史的背景から、“内藤”という大名家の名前ではなく、新たな風俗街という意味合いもある“新宿”になってしまったのだ。  地名では青山さんに完敗を喫した内藤さんだが、実は新宿区内の一町名ではあるが、内藤町として名を残している。かつて新宿一帯を領した内藤さんにとっては、ささやかすぎるかもしれないが、千駄ヶ谷駅にほど近い閑静な住宅街になっている。  地名には、そのイメージを好む種類の人を惹きつけ、街を育てる一面がある。今の新宿は、良くも悪くも“内藤”ではない方が合っているし、内藤さんにとっても今の方が面子が保ててよかったのではないだろうか。<文/中野龍> 【中野龍】 1980年東京生まれ。日本大学文理学部史学科(日本近現代史専攻)卒。毎日新聞「キャンパる」学生記者、化学工業日報記者などを経て、フリーランス。
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