もし新宿が「内藤」であったら、どんな街になっていたのだろうか
地名には、そのイメージで街の成り立ちを大きく左右する力がある。例えば、“青山”と“新宿”では、どちらにオシャレなイメージを持つだろうか。
おそらく、ほとんどの人が青山と答えるはずだ。青山は現在のハイソな印象だけでなく、かつては樹木が「青」く生い茂る「山」があったとも連想させる。
一方で新宿は、「新」という文字に“昔からあった”的な重厚感はなく、日本最大の歓楽街・歌舞伎町のイメージが強すぎるせいか、もはや「宿」からはラブホテルしか想起されない。しかし、青山、新宿共に、江戸時代はどちらも大名屋敷があった由緒ある場所で、実は新宿は“内藤”という地名になる可能性もあった。
東京の都心は、江戸期に武家町だった名残りから、屋敷を構えた大名の名前や官職が現在の地名になっているところが多い。
千代田区の紀尾井町は、紀州藩徳川家、尾張藩徳川家、彦根藩井伊家の屋敷があったことから3家の頭文字をとって、その名がついた。同じく千代田区の神田和泉町は、同地に屋敷を構えた伊勢津藩藤堂家の官位・和泉守が由来だ。名を後世に残すのは武士の誉れであり、家名が地名となるのは、これ以上ない栄誉だ。