上野千鶴子氏の言う「平等に貧しくなろう」はそんなにマズかったのか?

低収入でも安心できる制度設計へ

 しかし「収入が安定している」と答えた人は10%だけだった。すでに迎えつつある成熟社会と低収入社会を見越した時、さまざまな新しい制度設計が必要になってくるだろう。日本全国において、空き家、空きビル、遊休農地、休耕田、手入れの届かない山林などがますます有り余ってくる。それらを希望者につなぐことができれば、家や食べ物や燃料を低コストで入手できるので、収入は小さくとも健康で文化的な暮らしができるのだ。  支え合う文化、分かち合う文化は、若者ほど成就しつつある。過疎化する村や町に新しく懐かしいコミュニティーが創造されてゆく。現に昨今知られてきている地方の活性化は、これなのだ。人口減少と、モノへの執着の減少化(例:ミニマリストという、モノを少なくして豊か暮らす人が増えている)の時代に入った中では、需要も消費も増えることはない。  それでも生活と仕事の質を高めるニーズは当然あるから、経済成長はなくとも、お金や経済がニーズの中で循環していればいい。定常化社会とか、定常経済という。雑で無駄な消費が減る分、収入が小さくても暮らしが充実するのだ。よって、自由度、満足度、幸福度が上がる。コミュニティーデザインの第一人者である山崎亮さんは「縮充」という言葉を使い、社会的参加が伴う人口減少は希望になると説いている。日本中に蔓延する様々な社会問題が、解決と創造の糸口に向かうのである。

電通を辞めて過疎地に移住したHさん「私の決断は正しかった」

Kさんと同じく、NPOを通して移住したAさん(4人家族)は夫婦でほぼ全てリフォーム。1階は壁を取り除き、近所の人たちが集まるコミュニティー形成の場となっている。

 私のナリワイは東京の街の片隅で、一人で営むBARである。巷では「退職者量産BAR」と呼ぶ。私を通り過ぎて価値観と生き方を変えた方々は、低収入でも多くが幸福感を得ている。  上野千鶴子さんの言い方は乱暴な面や語弊があるものの、低収入を積極的に捉えている先進的な人々の視点からしたら間違いのない表現なのだ。ほんの一部の富裕層と、中間層がますます減って低収入層が増大する、歪な二極化時代はまだ続いてしまうに違いない。時間軸のグラデーションはあるにせよ、多くの人が低収入化してゆく現実。そんな中でも、しなやかに生活の質を高めて豊かに暮らし直す人々が増えているし、ますますそうした生き方が可視化されてくるだろう。  過当競争を勝ち抜くためにハードワークとストレスを抱え込み、ライバルを蹴落とすような生き方より、緩やかに貧しくなって、他者をなるべく犠牲にせず、仕事を分かち合う低収入な生き方のほうが、自由時間を有して幸せになれる可能性がある。有した時間で食べ物の自給やDIY(Do It Yourself=自分でモノを作ったりリフォームしたりすること)を行うなどして、充実した暮らしとともに“生きる力”も身につけられるのである。  新入社員の自殺で長時間労働が明るみに出た電通。その電通に30年間勤めていたHさんは、売ってはいけないモノ、売るべきではないモノを売る手伝いをする仕事に誇りが持てなくなっていたという。そんな時、私の著書や塩見直紀さんの著書『半農半X』を読んだことがキッカケで、会社を辞めて家族で過疎地の古い民家に移住。今は田んぼや畑をやりながら、週に3日だけ地元のローカル新聞社に勤めている。先日、そんなHさんから「私の選択、決断は正しかったのだと確信しています」とのメールをいただいた。
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何が本当の問題なのか?
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【講演会情報】
3/4(土)14時~15時30分「次の時代に先駆けて、減速して自由に生きる」埼玉県男女共同参画推進センター(With You さいたま)セミナー室
http://www.pref.saitama.lg.jp/withyou/event/list/0304.html
【 地球のしごと大學教養学部・募集スタート(筆者も講師陣の一人)】
http://chikyunoshigoto.com/archives/category/kyouyou/