タイでの刑務所暮らしを終えて14年ぶりに帰国した日本人元受刑者を待ち受けていた「現実」
2016年9月、ある日本人男性が14年ぶりに日本に帰ってきた。
彼の名は、竹澤恒男、神戸出身の64歳だ。彼は2002年12月、タイから日本へ覚醒剤を密輸しようとして当時のタイの玄関だったドンムアン国際空港で逮捕された。ヤーバーというアンフェタミン系の覚醒剤の錠剤を1250錠ほど所持し、当初の求刑は、「死刑」だった――。
前回語られたように覚醒剤密輸で逮捕された後、最終的に懲役30年の刑が確定し、刑務所暮らしをしていた竹澤。溢れるバイタリティで刑務所でも商売を成功させていたが、持病の悪化などもあり、次第に「死」が近づいてくるのを意識する日々だった。
刑務所で死んでいくことを覚悟していた竹澤の風向きが変わってきたのは2014~2015年くらいからだった。これまでの恩赦の傾向を考えると、ひょっとしたら2015年あるいは2016年には釈放されそうだということがわかってきてからだ。
「出所が決まったときの気持ちは、生きて日本に帰れる。それだけでしたね。むしろ嬉しさよりも、待つ人も戻るところもなく、所持金も乏しい状況で帰国してどうなるんだろうという不安の方が大きかったです」
2016年8月31日の早朝から釈放手続きが始まった。タイでは国王や王女の誕生日に恩赦が出る傾向があり、8月12日の王女の誕生日(この時点では前国王はまだ崩御していない)に出た恩赦で竹澤も釈放が確定した。
その日の釈放・保釈は70人におよび、手続きが終わったのが夕方。そのあとノンタブリ警察署に送られて入国管理局への移送の手続き。警察で2泊ののち、入管留置場に送られている。外国人受刑者は釈放後すぐさま強制送還となる。竹澤のパスポートの有効期限はとうに切れているため、日本大使館の職員が入管を訪れて渡航証明書を作成。航空券を購入した。
「帰国時の航空券は日本大使館、もしくはタイ入管から貸してもらうこともできるのですが、4年前に釈放された人からカネが届くまでに早くて2か月、最悪1年と聞いてましたので自費購入しました」
竹澤には刑務所での商売でなんとかチケットを買う分のカネがあった。カネのない日本人の入管拘留者は日本政府かタイ政府が航空券代を立て替えてくれるというのは事実だ。しかし、在タイ日本大使館においてもこういったケースはそうあることではなく、通常の予算にこの分を組んでいないため、事案発生時に大使館から外務省に申請する必要があるので、今日頼んで明日にカネが渡されるわけではないのである。ただ、日本はまだ早いほうで、竹澤の目撃談によれば入管の留置場に17年もいる中国人がいたそうだ。
そして「恩赦」へ
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