そして初めて大会に出たのが2016年7月の「対馬国境ハーフマラソン」だった。
しかし、私はこの大会を前に痛恨のミスを犯していた。本番六週間前から二週間前まで一切走らなかった。いや、走れなかったのだ。
ツケはきっちりと大会でやってきた。19㎞を過ぎたあたりから左ひざがおかしくなり、全く走れなくなったのだ。いや、歩くことすらできなくなった。右足だけでゴールを超え、そのまま救護室に直行した。腸脛靭帯炎、典型的なランナーズニーだった。
一応言い訳をしておくと、2016年5月にイングランド・プレミアリーグでレスターが史上初の優勝を果たし、全世界的ブームとなっていた。私のところには「ジェイミー・ヴァ―ディー」(徳間書店)と「レスターの奇跡」(イースト・プレス)の仕事が舞い込んできており、ことの性格上、翻訳作業は一刻を争うものだった。だから私はGW明けから六月の第二週まで文字通り不眠不休で執筆作業に没頭した。一日18時間書いているのだから、友人と会うこともなく、トレーニングの時間もない。デートなどもってのほかだ。決してサボっていたわけではないのだが、走るという観点からいえば「練習不足」以外の何物でもない。
五日ほど休養すると、膝の痛みは治まった。同時に、屈辱感と闘志が沸き上がってきた。
「これで走るのをやめたら、オレは負け犬のままではないか?」
私は練習を再開した。