実行委員会メンバーの一人、気仙沼はるき氏が経営する酒場にて。気仙沼氏は、セルフ祭りに魅せられて仙台からここに移り住んだのだという
シャッター通りになっていた商店街を少しでも元気づけたいという思いもあった。実際、セルフ祭りをきっかけに少しずつではあるが、活気を取り戻しつつある。
目的や方向性は本人たちも考えていない。結果的に、商店街の知名度が上がり、人の流れができていくことに繋がれば良いのだという
「半分閉まってる?半分開いてるからええやないか」などのトンがったキャッチコピーがネットで話題になった「新世界市場ポスター展」も、このセルフ祭りが発端だ。第1回セルフ祭の後に、セルフ祭顧問で電通関西支社に勤務する日下慶太氏が企画したものだ。
だが、震災がきっかけとなったことや町おこしへの思いなどは、普段はまったく表に出していない。
「『町おこしやってます』とか『良いことやってます』みたいなことは、あまり出さないほうがいいんですよ。そっちを強調してしまうと、色んなことがズレてきて、祭りそのものがつまらなくなってしまうと思うので。単に好き勝手オモロイことやってるだけで、その基本は今でも変わりません」
また、セルフ祭は決してコタケマンさんの専売特許ではないという。
「自分たちが主役になるというセルフ祭の発想が、世の中に広まればいいなと思います。大阪以外の場所で自分たちもやりたいという人がいれば、大歓迎ですよ」
<取材・文/西谷 格 写真/女川冬美、安英玉(HBO取材班)>