さらにライシャワーは、現代の工業化がもたらした社会内部の機能不全を見過ごさない。「あまりに複雑化した結果、自らの重みに耐えかねて、管理不能かつ崩壊の兆しをみせつつある。」と指摘している。
それゆえ閉塞感漂う現在の日本だが、仮にのちに破局に見舞われたとしても、若者に責任を押し付けてはならないと語っている。
いずれにせよ、これまでおざなりにしてきた大きなビジョンを描くための準備が喫緊の課題となるだろう。技術を先鋭化し、効率的に富を得ようとすることが悪いのではない。しかし繰り返しになるが、ではその富によって、一体私たちは何をしたいのだろうか。富によって富を増やすことの限界に行き当たったのがリーマンショック以降の世界の姿だとすれば、未来のシナリオは修正されねばならない。
ライシャワーは、21世紀の全人類が直面する諸問題を解決する旗振り役となる日本人の姿を想像している。
<たしかに私は、本書で日本の伝統的な孤立と、相も変らぬ違和感に焦点をあててきたし、一部の他国民にくらべれば、最終目標から隔たっているようにみえるのも事実である。だが、一世紀半前の出発点を思いおこすなら、日本人の進歩の方がより大きかった、ともいえそうである。
言語面での大きな障害を思い、心中深くしみついた孤立感を考えれば、それは長く、きびしい道のりであった。直面する問題が何であるかを見据えさえすれば、後発の彼ら日本人の方がさいしょにゴールインすることも、決してありえぬ話ではない。>(39 日本の未来)
ただし、「将来への展望は、過去を正しく理解しているかどうかによって決まるのが常である。」とし、歴史をおざなりにする危うさに言及している。
40年前に、いまの日本の苦境を言い当てたライシャワーからのメッセージは重たい。
<文/石黒隆之>