記者クラブ問題の存在を“なかったこと”にする記者たち
一方、日本新聞協会は2003年12月10日、
「歴史的背景から生まれた記者クラブ制度は、現在も『知る権利』の代行機関として十分に機能しており、廃止する必要は全くない」との見解を公表している。
この見解では
「情報公開に消極的だった議会や行政に対し、記者クラブは結束して情報公開を迫る役割を100余年にわたって担ってきた」と主張した。この見解は、
新聞協会のウェブサイトに掲載されている。
記者クラブ存置派の記者や学者は
「記者クラブがなくなると、官庁の中にある取材報道の拠点がなくなる」という詭弁を弄している。しかしこれは、日本の植民地統治時代の遺制として残っていた「記者団」制度を2004年に全廃した、韓国の歴史に学べばいい。
記者クラブが廃止された、長野県庁広報センター
韓国だけでなく、日本にも記者クラブを廃止したケースがある。
元『朝日新聞』政治部記者の竹内謙氏が市長になった鎌倉市は1996年に市政記者クラブによる記者室の独占使用を廃止し、広報センターを設置した。
続いて、田中康夫長野県知事は2001年に「脱記者クラブ宣言」を発して長野県庁記者クラブを廃止、「表現道場」(その後、「表現センター」と改称、現在は「広報センター」)を設けた。
記者クラブを廃止することは、何も難しいことではない。日本の記者が海外に行けば、所属する媒体がどこであれ、当局に記者証を申請すれば取材できる。このような、海外で普通に行われている形にすればいいだけだ。
安倍晋三首相は4月17日の会見で、
「記者クラブのあり方については、皆様方に議論をしていただきたい」と答えている。このことは筆者記事
「『記者クラブ問題の議論を』フリー記者の問いかけに応えた安倍総理発言を内閣記者会が“黙殺”」ですでに報じた。
『東京新聞』の望月衣塑子記者はネットの討論会(5月3日)で南彰・新聞労連委員長に対し、
「浅野健一さんがこの(首相の)言葉について、官邸側と内閣記者会に質問したいというお話を耳にしたこので、改めてそうだなと思った」と前置きしてこう語った。
「首相の答えがあって以降に、官邸側ではなく、記者クラブの中にいる私たちの社の人間たちが、それぞれもっと考え、知る権利にこたえ、報道の自由を高めていくために話し合って変えていかなければならない。まさに、外側のせいにするのではなく、記者会側にいる私たちがこういう声を外に広げていかなければならない。記者会側、この問題に関わってくるみんなで考えなければならないと思う」
ところが南委員長は
「この問題は長年言われてきたことだ」と言っただけで、議論を進めなかった。
日本のメディアの労使が双方で、記者クラブ問題を「ないこと」にしているのだ。
首相会見でフリー記者らの質問が可能になり、時間が長くなったなどで「会見が改革された」と一部では評価されていたものの、安倍首相は6月18日の国会閉会後に記者会見して以降、広島・長崎の平和式典後にホテル宴会場でそれぞれ約15分の「会見」を行っただけで、本格的な記者会見を開いていない。
広島では、会見が
「東京に帰る飛行機の時間が迫っている」という理由で打ち切られた際、
質問を続けようとした『朝日新聞』記者の右腕を首相官邸報道室の男性職員が掴んで制止したとして、『朝日新聞』が抗議した。菅義偉官房長官は「腕をつかんだ」という事実を否定しているが、記者クラブ全体でこれに抗議するという動きはない。
長崎では、首相が会見終了時に読み終わったカンニングペーパーをしまおうとして、演壇の上に立てた際、
幹事社による「問」と首相側の「答」の文字がはっきりテレビに映り、「やらせ会見だ」とネット上で話題になっている。
首相が身内ばかりの御用記者を前にして、隠しもせずに一問一答メモを見せたことで、権力とメディアの癒着の実態がまた明らかになった。安倍会見のほとんどは「事前に質問が各社から文書で出され、首相秘書官が回答を用意し、首相はそれを読んでいるだけ」だということが知られてしまったのだ。
南委員長は7月10日、元メディア記者のメディア学者らと
「ジャーナリズム信頼回復のための6つの提言」を新聞協会加盟129社の報道責任者へ送った。しかしこの送り先は、内閣記者会にすべきだったのではないだろうか。
内閣記者会は官邸報道室とともに、日本の報道の自由を阻害する“共犯関係”にある。内閣記者会のメンバーの多くが新聞労連・民放労連傘下の労組の組合員だろうから、南委員長は組合員に、記者クラブ問題に関して議論するよう指令を出してほしいと思う。
<文・写真/浅野健一>