マーティン・ファクラー氏
筆者は2012年9月13日、当時、NYT支局長だったマーティン・ファクラー氏に記者クラブについて聞いた。
『「本当のこと」を伝えない日本の新聞』(双葉新書)の著者だ。ファクラー氏は、2011年3月の東電福島第一原発事故の翌日に南相馬市へ入ったが、市役所記者クラブにいるはずの記者たちは全員逃げてしまっていたという。
ファクラー氏はこう語った。
「NYTの記者になる前はウオールストリートジャーナル(WSJ)にいて、日銀担当だった。日銀総裁の記者会見に参加するには記者クラブの幹事の許可が必要だった。質問をしてはだめだった。
WSJという世界的な新聞が日本の中央銀行の総裁の記者会見に行っても、質問をしてはだめという。中国にもない状態だ。
記者クラブ制度でいちばん損をするのは日本の雑誌、フリー、ニューメディアなどの記者と日本の読者だ。当局の発表をそのまま紙面に載せる記者クラブメディアにジャーナリズムはない。記者クラブは情報の寡占というビジネスモデルを既得権益として守ろうとしている」
国連人権委員会の「報道の自由」特別報告者のデービッド・ケイ教授が2016年4月に東京で「記者クラブの廃止」を提案した時も、記者クラブまったく報道しなかった。
『朝日新聞』に至っては「『記者クラブの改革』を訴えた」とケイ氏の発言を改竄した。「改革」と「廃止」ではまったく違う。
日本の大手メディアは、NYTが「日本に報道の独立性がない」と認定し、「韓国には独立した報道がある」と見なしたことを日本人に知られたくないのだ。まさに島国根性だ。
他の先進国では「メディアのあり方」がメディアの重要な取材対象になっている。NYTなどはメディア担当の専門記者を置いている。
日本に権力から独立したメディアを構築するためには「情報カルテル」と呼ばれる記者クラブ制度を解体し、長野県庁と鎌倉市役所にあるような「広報センター」を設置するしかない。
2003年3月、イラク戦争に反対する市民が『ワシントン・ポスト』本社に「真実を報道せよ」と要請。米国市民は報道のあり方を常に考えている
記者クラブ制度は1941年、日本がアジア太平洋戦争(「大東亜戦争」)突入と同時に生まれた。戦時体制下で今の形になった記者クラブが、戦後も存続して今日に至っている。
「記者クラブ」のことを、海外メディアは「press club」とは訳さずに「kisha kurabu」とか「kisha club」と表現している。海外のどこにでもある「プレスクラブ」との混同をさけるためだ。
「キシャクラブに私は入らない。キシャクラブは政府がつくっている。政府は私たちの敵。敵の政府に取り込まれ、愛玩犬にされているのがキシャクラブの記者たちだ」と『ワシントン・ポスト』のトーマス・リード支局長は語っていた。
こうした日本の記者クラブ制度を全廃するよう、欧州連合(EU)が日本政府に要求しているということも多くの人が知るべきだ。
欧州連合(EU)の行政機関、欧州委員会は2002年11月25日に東京で開かれた日本政府との規制改革に関する日・EU高級事務レベル協議で、
「日本の記者クラブ制度は外国の報道機関を不当に差別している」などとして改善を求めた。2003年も同じ提案をし、2003年11月14日開催の同協議で、前年に引き続き「記者クラブ制度の撤廃」を申し入れた。
また、EUが2002年と2003年の各10月に日本政府へ提出した「日本の規制改革に関するEU優先提案」には、
「記者クラブ制度を廃止することにより、情報の自由貿易に係る制限を取り除くこと」と明記された。