三浦春馬さんの訃報に思う。「休む」技術や環境整備、「言葉」の大切さ

亡くなる前に信頼できる人に相談して、重荷を分かち合ってほしかった

訃報イメージ 三浦春馬さんの訃報は胸が痛みました。  自分が2020年7月に上梓した『いのちは のちの いのちへ』(アノニマ・スタジオ)で書きたかったことも、まさにこうした事態を少しでも減らすような、新しい医療の場を願って書いたものでした。  医療の場が「病院」という空間の中だけで限定されてしまうと、自死のような事態を防ぐことは難しくなってしまうのです。  特に芸能界の人、有名人とされる人は誰にも相談できない人が多いのです。亡くなる前に信頼できる人に相談して、重荷を分かち合ってほしかったと思います。自分もそうした力になれる一人になりなかったです。亡くなってからでは遅く、すべては亡くなる前に。  相手が困っている時には、微細なサインを読み取りながら、丁寧に対応する必要があります。そもそも、「言葉」はかなり大雑把なやり取りに終始することが多く、思っていないことを言えてしまうのも「言葉」の特性です。  相手が発している微細なサインを受け取るためには、発される言葉よりも、表情や顔色、視線、声のトーン、その他にもあらゆる身体の表現……そうしたすべてを丁寧に細かく読み取ろうとする態度こそが求められます。役者として何かを演じることのプロであるからこそ、「元気な自分」「いつも通りの自分」を完璧に演じることすらもできてしまうのですから。

真面目な人ほど「死ぬしか選択肢がない」と思い詰めてしまう

 真面目な人ほど「反省」という行為が、自分を責める行為につながりやすいです。「反省」は成長へとつながるための大事なステップになる場合もありますが、「反省」が「自分を責める」ことと一体化してしまうと、「自分を責める回路」から出られなくなります。  自己否定を心の中で繰り返していくと、「この世界にはどこにも居心地のいい居場所がない」と思い詰めてしまいます。「いまの嫌な循環から抜け出したい」と思う時、眠ったり、お酒を飲んだりすることで、一時的に「意識活動」が途切れるので、一時的なリフレッシュにはなります。  悪いサイクルを堂々巡りしている状況から、自分の意識活動は一時的に抜けることはできます。ただ、お酒から覚めて、眠りから覚めて、また朝が来た時、何も現実世界が変わらないことに深く絶望してしまう、そうしたことを繰り返していると、「生きる」という複数の選択肢の中に「死ぬ」という選択肢までもが入り込んでしまうのです。  それは、お酒や眠りで意識活動を一時的に変えることができることと同じ文脈です。閉じられた回路の中で、悩みの根源へと深く考え込んでいくと、そもそも生きていること自体がすべての悩みの根源だと考えるようになることもあり「それなら死ぬしか選択肢がない」と理屈の中で思い詰めてしまいます。
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