「アリ地獄」のようなブラックな引越会社と闘った男の軌跡。『アリ地獄天国』土屋トカチ監督<映画を通して「社会」を切り取る15>

アリ地獄天国

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「アリ地獄」で声を上げた一人の若者

 残業代なしの長時間労働を強いられ、事故や破損を起こせば多額の弁償金を給料から天引き。あっという間に借金漬けに陥ってしまう。社員たちが自らが置かれた状況を「アリ地獄」と自虐的に呼ぶ会社がありました。  大学卒業後、7年間SEとして働いていた西村有さんは、2011年1月「年収1000万円」の求人広告に惹かれて引っ越し会社に転職、引っ越し作業を行うセールスドライバーから出発し、成績良好と認められ営業職に昇格。しかし、月の総労働時間が340時間を超えていたにもかかわらず、給料は27万円余りでした。そして激務をこなしていた2015年1月のある日、通勤時に社用車で事故を起こしてしまいます。会社は弁償金として48万円を西村さんへ請求、おかしいと気が付いた西村さんは個人加盟型労働組合のプレカリアートユニオンへ相談。ところが、団体交渉を開始した西村さんに対し、会社は営業職からシュレッダー係へ配転を命令、西村さんが不当配転の無効を訴えて会社を訴えると、今度は懲戒解雇の言い渡しが。ほどなくして会社側は解雇を撤回、西村さんは再びシュレッダー係に復職します。団体交渉の場でも恫喝のみで、全く譲歩を見せない上層部。西村さんの闘いはどのような結末を迎えるのか――。  今回は2018年2月13日、西村さん側に有利な和解を勝ち取るまでの闘いを追った現在公開中の映画、『アリ地獄天国』監督の土屋トカチさんに製作の意図や経緯などについてお話を聞きました。

友人の死から3年が経って

――『アリ地獄天国』の製作経緯についてお聞かせください。 土屋:レイバーネットTVというインターネット上の労働運動に関する番組で、当時ディレクターを担当していたのですが、労働争議をやっている人を招いてお話を聞いた時に西村さんに来てもらいました。それが西村さんとの最初の出会いです。その時、西村さんは会社から懲戒解雇された状態で、会社中に「罪状ペーパー」を貼られていました。
土屋トカチ監督

土屋トカチ監督

「罪状ペーパー」には「会社の職制を中傷又は誹謗し職制に反抗」「自己の権利を主張し、職責を果たしていない」などの記載があり、「『懲戒解雇』になった場合、再就職先があると思いますか?家族を誰が養うのですか?一生を棒にふることになりますよ」などの言葉があってこれは酷いなと思いました。その後、西村さんが労働者の地位確認の仮処分の申し立てをしたところ、懲戒解雇は撤回になったんですね。  そしてすぐに、プレカリアートユニオンの清水直子委員長から「懲戒解雇の撤回に関する記者会見を厚生労働省でやるので、組合のYoutubeにUPするための動画を撮影して欲しい」と言われました。その時はまだ映画にするかどうかは決めていませんでした。それが2015年9月30日でした。 ――この劇中にもありますが、親友の方の自死もこの映画を作るきっかけになったと聞きました。 土屋:そうなんです。新聞奨学生をしていた頃の1つ年下の後輩で、私は彼のことを山ちゃんと呼んでいました。販売店が用意した寮に一緒に住んでいてまるで弟のように仲良くしていました。20代で結婚し、3人の娘を授かった山ちゃんは30歳を過ぎてから派遣社員として工場の工程責任者をしていました。激務の上に職場のロッカーで金銭を盗まれ、私物が頻繁になくなるといったいじめも受けていたのですが、派遣先からも派遣元からも「警察に届けるな」とダメ押しをされて、うつ病を患っていたんですね。そこで、彼は僕が薦めた労働組合に加入して会社側と労働状況の改善を求めて労働争議をやっていました。それが2012年の春頃でした。  その時、山ちゃんから「自分の労働争議を撮って欲しい」と頼まれたのですが、断ってしまって……。 ――なぜ、撮影の依頼を断ったのでしょうか? 土屋:山ちゃんはまるで弟のような存在だったので緊張感のない映像になってしまうのではないかと思ったんです。変化の過程を撮るのがドキュメンタリーだと私は考えているですが、それには被写体とある程度距離を置かないと撮れません。僕らは兄弟のような関係だったのでその関係が急に変わるとは思えなかったんですね。  山ちゃんには僕のドキュメンタリー論を話して断ってしまいました。結局、山ちゃんの争議に僕は関与しないまま時が流れて、山ちゃんの派遣期間が満了になり、同時に工場のラインの閉鎖も決まり、「君は要らない」と言われて派遣切りに遭ってしまったんですね。  そして山ちゃんは自ら妻と3人の子どもを残してこの世を去ってしまいました。2012年10月28日、彼が40歳の時のことです。山ちゃんは「争議を撮って」と言っていましたが、それを字面通りに受けとめた自分はバカでした。一人で闘うのはきっと不安だったので、傍にいてほしいということだったんじゃないかと思います。もっと考えれば良かった。彼が「派遣会社が次の仕事を紹介すると言ってくれるから」というのを聞いて、「頑張ろうか」と電話で話したのが最後になってしまいました。 ――2015年に派遣法が改正され、会社は、派遣社員として3年間勤務した人を直接雇用しなければならなくなりました。山ちゃんは10年近く派遣社員を続けていたとのことですが、会社に直接雇ってもらえなかったのでしょうか。 土屋:もちろん、会社側にそんな姿勢は見られませんでした。未だに派遣社員の更新が16年目という人からの相談を受けたこともあります。  山ちゃんが亡くなった時、長女は小学校高学年でした。彼の妻も彼女が10代の頃から知っています。先日、長女が大学に受かったとの連絡が来ました。  山ちゃんの葬儀が終わってからすぐに、短編作品『これじゃない』を作りました。でも、「争議」を撮るはずが「葬儀」を撮ることになってしまったことに対しては、重い宿題が残されたような気がしました。それで、労働争議を撮る長編映画のプロットを書き上げ、偶然に被写体になる方に出会えたらいいなと考えていたある日、西村さんに会ったんです。山ちゃんの死から3年が経っていました。  西村さんに会った時には、明確に映画にできるとは思っていませんでした。ただ、会社のやり方があまりに酷いので争議相手としては不足がなかったことと、かつての山ちゃんのようにしんどい立場にある人を撮ることで西村さんをサポートできるのではないかとは思っていましたね。
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