©2020『Red』製作委員会
島本理生さん原作の恋愛小説『Red』。出版当初から主人公塔子の生き方に対して賛否両論の同作品が、「個人の生き方を問う」映画に生まれ変わって、新宿バルト9他全国の劇場で公開中です。
誰もが羨む一流商社勤務の夫、可愛い娘、郊外の瀟洒な家。〝何も問題のない生活“を送っていたはずだった主人公の村主塔子(夏帆)は10年ぶりにかつて愛した男・鞍田秋彦(妻夫木聡)に再会。鞍田は塔子の学生時代のアルバイト先だった設計事務所を畳み、現在は友人の会社で設計に従事しています。
そして鞍田との再会をきっかけに、塔子は「また働きたい」という気持ちに目覚め、鞍田の誘いにより、鞍田と同じ設計会社で社会復帰することに。徐々に仕事にやりがいを感じ、同僚の小鷹淳(柄本佑)とは会社の飲み会を抜け出して心の解放を感じることも。一方、鞍田との愛が深まっていき…。塔子と鞍田の運命の歯車は再び動き出す。
今回は、かつては専業主婦であり「家」に縛られて生きていた塔子が自分を取り戻し「個人として」の人生を歩み出す瞬間を描きたかったという三島有紀子監督に、塔子と夫・真、塔子と鞍田との関係性の違い、そしてこれから描きたいテーマなどについてお話を聞きました。
※映画のネタバレになる内容も含みますのでご注意ください。
――子どもの親は父親と母親であるのに、子どもの面倒を見るのは母親で、子どもに何かあった場合の責任も母親が負うという価値観がリアルに描かれています。そして、「二人目の子どもが欲しいから仕事を辞めて欲しい」と悪気もなく塔子へ告げる真は世間のある一定層の代弁者のようにも思えました。
三島:今、子作りや子育てを巡る環境にはいろんな方がいらっしゃって、真のようなことを言う人ばかりではないと思います。でも、金銭的に豊かで経済的なことを中心に考えているある種ハイソサエティーな家庭の人にはこういう発想の人もたくさんいるんじゃないかと感じています。
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お金を稼いでいる人が常に上で、その人の補佐として女性が存在する。そういうご家庭を実際にたくさん見てきたので、そんなことも盛り込みました。女性自身も、子育ての役割は本来母親の仕事と考える方もいらっしゃいますし、仕事していても母親として子供と一緒にいられないことに後ろめたさを感じてしまう方もいらっしゃいますしね。
独身でも、例えば、男性で料理が下手でもなんとも思わないけど、女性で料理が下手ってなんとなく言いにくかったり、みんなで食事に行った時に女性がサラダを取り分けるものであるという無言の圧力を感じたり…なんていうことも女性の間では話題になりますよね。そんな圧力をかけてくる男性の象徴が真ではあります。
ただ、真を悪者にはしたくなかったんですね。妻を大切にしながら生きている人たちの中にもこういう常識があるということを示せたらなと。ある種日本社会の決定権を握る人、またそこに近い人たちの考え方はこういった考え方の人も多いなと感じますしね。だから教育も社会も変らないのかなと。
真が悪者ではなくて、真みたいな男性が生まれる背景がきちんと見えたらいいなとあの家族を描いていました。つまり真も縛られていると言えます。父とは、夫とは、こうあらねばと必死で頑張っているんですよね。
――今の40代~50代の母親世代からするとその価値観が当たり前なのかもしれません。
三島:実際「これぐらいで文句言ってたら結婚なんてできないよ」と言う方もいらっしゃいましたね。一方で、子育ては女の仕事だと思っていたり、こんなに黙って夫に従ったり、周りがうまくいくように我慢ばかりする人ってまだいるの?古くない?という反応もありました。年齢や、文化の違いで感じ方は変って来ると思います。
でも、なんとなく、このもやもやとした感覚は女性ならどこかで感じることがあるのではないかなと思って作っていました。自分はよく、もやもやすることを男女を入れ替えて考えます。入れ替えて不自然なものはやはり不自然だよなと。不自然だなと感じたり、普段考えたりしていることをこまめに発信していくしかないと思いますね。そうすれば対話も生まれてよいと思います。
こうして、考える時は俯瞰で社会を見つめて発信していこうと考える訳ですが、個人的な物語に落とし込む時に、社会や他者のせいにしていても何も見えて来ないなと感じます。だから、夫の真に「全部俺のせい?」と尋ねられた塔子に「ちがう。全部自分(のせい)だ」と言わせました。
今までしてきた自分の選択をきちんと振り返ってから、自分が大事だと思うことのために、塔子は、例え世間では許されないとされる決断になってしまったとしても、人生のどこかの時点で覚悟を持って進んでいかなければならないと考えながら脚本づくりをしていました。きちんと振り返ることは、自分自身も意識して心にとどめておきたいことです。
お互いの存在を見つめ合うということ本当の価値観の共有
――塔子は真とは「夫と妻」「娘である翠の父母である」という事実関係だけがあるように見えましたが、鞍田とは建築の仕事を通してお互いの能力を認め合うという価値観の共有がありますね。そのコントラストは原作にはないものでしたが、その点について意識したのでしょうか?
三島:夫である真とは積み上げられない愛を、同じ職場にいる鞍田とは積み上げていることは意識しました。真は塔子を妻か母としか見ていませんが、鞍田は塔子のデザイナーとしてのセンスや才能も見ているんですね。その中で育まれる愛情は、真には手が届かない。
三島有紀子監督
鞍田は、食事の時も塔子が好きなものをちゃんと覚えていて、彼女と「おいしい」ということを共有しようとする。鞍田ならまずい食べ物も「まずいね」と共有することが出来るでしょう。いま、同じものを食べたり、見たりしている、共有している認識がきちんとあります。
真は塔子をいわゆる高価で美味しい食事に連れて行きますが、「夫としてこういうことをしていればいいだろう、妻が喜ぶだろう」という思い込みがあります。本当は塔子が何が好きで、どういうものを食べたいのか、どういう空間が好きか、そういうことについて真剣に考えたことはないんだろうなと思いながら、対比を作っていきました。喜ばせたいという想いはあるわけですが、共有できていない感じです。
――鞍田とは仕事を共にし、互いを認め合っています。ベッドシーンも丁寧に描かれますが、そこには共有している感覚があるということの象徴なのではないかと感じました。
三島:そうですね。仕事でもセックスでも、2人はお互いのことをきちんと見つめて、その人自身を知り、感じる。そこには、感情の循環があり、それを共有している。そしてそれは、言葉を必要としない、ある意味、とても崇高で美しいコミュニュケーション(対話)のひとつだと感じています。