茨城大ゼミ「宗教と報道」発表の拙さと「オトナの責任」

スルーされた「TBSビデオ問題」

 質疑の際、フロアにいたテレビ朝日の記者から、こんな質問が飛んだ。 「オウムとメディアの問題を考えるとき、一番本質的で深刻なのは、坂本弁護士事件のときのTBSの問題だと思う。いまの発表でその点に全く触れられていなかったのはどういう意図だったのか」  TBSビデオ問題とは、1989年、オウム真理教問題に取り組んでいた坂本堤弁護士へのインタビュー映像をTBS側がオウムに見せてしまい、なおかつそれを放送せず、またオウムに見せたことを坂本弁護士にも伝えずにいたというものだ。その9日後に坂本弁護士一家殺害事件が発生する。TBSの対応が引き金になったのではないか、と批判されている。  これについては重要なので別記事でまとめたい。  研究発表でTBSビデオ問題に触れなかった意図について、壇上から学生がこう答えた。 「今回私どもは100人の記者の方にインタビューして、その結果、100人の記者の方がどのように思われているのかというのを中心にとりあげたもの。もちろんTBSのビデオ問題は、あってはいけない。情報源の秘匿を守れなかったということで、すごく深刻な問題ではあるんですが、私たちが今回注目したのは、インタビューの結果導き出した問題点というのを、記者の方たちへのインタビューの内容を重点的に説明したというものです」  TBSビデオ問題を無視したのではなく、飽くまでもインタビューやアンケートの結果だ、という趣旨だ。  しかしオウム事件をめぐるメディアの歴史上、最も重要と言えるTBS問題。インタビューやアンケートで110人もの記者の誰一人としてこの問題に言及しなかったのだとしたら、そのこと自体が驚くべき結果だろう。そこに論考を加えない研究発表は確かに不自然だ。 「報じた」「報じなかった」というメディアの表層の問題だけではない。TBSビデオ問題は、メディアと取材対象との関係の作り方の問題であり、それが一連の大事件の経過すら左右した可能性を示している。この点に目を向けるかどうかによって、オウム事件をめぐるメディアのあり方への洞察は大きく変わる。

目立った「認識の浅さ」

 質疑の際、学生はTBSの問題を「情報源の秘匿を守れなかった」と語ったが、それも違う。  報道の原則とされる取材源の秘匿とは通常、「報道した情報について、匿名の情報源を明かさない」ことによって情報源を守るというものだ。しかし坂本弁護士へのインタビューがもし放送されていれば、家族から相談を受け法的手段を準備している弁護士が顔も名前も出さずに登場するなどということはありえない。放送していれば取材源はむしろ秘匿されなかったのだ。  という前提である以上、たとえばTBSがオウム側に「坂本弁護士はこう言っているが反論はあるか」と尋ねるといった調子で、オウムに対して取材源とインタビュー内容を明かしたとしても何もおかしくない。ビデオを見せたことを坂本弁護士に伝え、また映像をきちんと放送していたならば、だが。  仮にそうなっていれば、自らが疑われるとわかっている犯行にオウムが踏み切ることはなかったかもしれないし、坂本弁護士も身辺の警戒をより強め事件を防げたかもしれない。  オウムに対して「情報源を秘匿しなかった」ことが問題なのではなく、社会に対しても坂本弁護士に対しても重大な事実を秘匿したことが問題なのだ。「情報源の秘匿」とは全く別の、報道としての倫理や道義の問題であり、痛恨の失態だ。  学生たちが報告した設問の中にも、TBSビデオ問題についての言及はなかった。  フィールド調査前のリサーチをきちんと行い、それを踏まえていれば、設問に組み入れることもできただろうし、そうしなかったとしても110人もの記者がこの問題に触れないことの異常さにも気づけたはずだ。TBSビデオ問題を意図的に避けたのでないなら、事前の調査不足である。  TBSビデオ問題は当時、大きな騒ぎとなっていた。1996年にTBSは〈特別番組「視聴者の皆様へ」〉〈特別番組「証言」─坂本弁護士テープ問題から6年半〉の計3時間50分もの謝罪と検証の番組を放送している。ビデオに録画している人もおり、現在も決して入手不可能なものではない。TBSによる公式のものではないが全編が2017年にYouTubeにもアップされている。村上ゼミの学生に限らず、誰でも簡単に内容を知ることができる資料だ。
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組織ジャーナリズムの問題
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