茨城大ゼミ「宗教と報道」発表の拙さと「オトナの責任」

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焦点の定まらない研究発表

 昨年、死刑が執行されたこともあり、平成の大事件として改めて関心を集めているオウム真理教事件。一連の事件の1つである地下鉄サリン事件から24年にあたる3月20日に、東京・古石場文化センターで、茨城大学人文社会科学部の村上信夫教授ゼミの学生たちによるシンポジウム「オウム真理教事件とメディア―宗教報道はどうあるべきか―」が開催された。  しかし学生たちの発表は、オウム事件とメディアの関係を問題のポイントやマスメディアの構造を踏まえない内容となっており、指導教員である村上教授の指導力不足が目立つ結果となった。  地下鉄サリン事件以降に生まれた学生たちが、事件やメディアの構造について十分な知識を持っていないのは当然のことだ。研究を通して知識や問題意識を学んでもらうことが教育だろう。指導者側の問題として、今回のシンポジウムについて考えてみたい。  シンポジウムは、前半がゼミ生による研究発表「宗教と報道~オウム真理教事件と同時代記者100人の証言~」、後半がジャーナリスト4人と村上教授によるトークセッション「オウム真理教事件の報道から何を学ぶか」。  ゼミ生の発表ではまず、1989年にテレビ朝日のワイドショー番組「こんにちは2時」がオウム真理教について報じた際、オウム側からの抗議を受けて後日17分間、オウム側に喋らせる放送を行ったと指摘。この年、坂本弁護士一家殺害事件が起こりオウムの犯行を疑う声もあったことや、90年の衆院選にオウムが候補者を立てたことなどからオウム報道が多く行われたが、その後、地下鉄サリン事件が起こる1995年までオウムについての報道がほとんどなくなったとする統計を示した。  これに続いて、新聞社・テレビ局・出版社の記者110人への電話や面談でのインタビューとアンケートの結果が報告された。  たとえば「地下鉄サリン事件が起こったときの印象」との質問に「まさか宗教がテロを起こすとは」との答えが40%といった数値とともに、「まさか宗教団体がテロを起こすなんて思いもしなかった」(キー局政治部記者)、「やはりあいつらがやったかという印象」(ワイドショーリポーター)といった調子で、短いコメントが紹介された。インタビューとアンケートが混在するフィールド調査のように見えるが、記者たちのコメントは短いものばかりで、面談も含めたアンケートによる量的研究を主目的としているようだ。

本質を理解しようという姿勢の欠如

 報告されたアンケートの設問は、このほか「オウムを初めて知ったのはいつか」「初めて知ったときの印象」「報道はオウムの暴走を止められたか」「いつからオウムに危険性を感じ始めたか」「危険性を感じたとき追求したか」「追求しなかったのはなぜか」。 茨城大シンポ 発表は、記者たちの13%が「信教の自由」の存在が報道を萎縮させたと指摘していたとするとともに、当時、オウム真理教信者の青山吉伸弁護士が報道に対して「信教の自由」を根拠として「宗教弾圧だ」とする抗議を繰り返していたことを指摘した。またオウムについて報じた記者の自宅にいたずら電話がかかってくるなど、身の危険を感じて家族を避難させたと語る記者もいたと報告した。  最後に「提言」として、「予兆、危険性を感じたら、どんなに小さな予兆でも研究していただきたい」「報じることが抑止力になる」「私たち読者も大きく変わる必要がある」「カルトと宗教の違いを学ぶ」「記事やニュースに対して敏感であること」「記事、ニュースに対し、建設的な意見を発信すること」「自分の周囲のそうした兆しを発信すること」とした。  インタビューやアンケートの結果を機械的に紹介し、耳あたりの良い抽象的な言葉でまとめただけの「感想文」といった印象だ。現象や問題の構造についての理解を深めようとする姿勢が感じられなかった。  学生のアンケートの設問には「報道はオウムの暴走を止められたか」というものがあった。そもそも報道は宗教団体の行動を止める仕事なのか。社会に向けて問題提起や注意喚起を行うのが報道であって、犯罪の摘発や予防は警察等の行政の仕事ではないのか。報道が警察や裁判所を気取って摘発や懲罰を目指すなら、それは報道の暴走ではないのか。 「報道」の社会的役割を誤解しているのではないかとすら思えた。
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