軍事より何よりまず第一は、
外交関係の建て直しが最優先でしょう。二国間の関係が希薄であれば外交上の取り引きの選択肢が乏しくなります。封鎖政策は過去14年で完全に失敗しましたので国連による対北朝鮮制裁の範囲内での関与政策への転換は必須と考えます。
軍事面では、現在日本は合衆国にとっての
不沈空母からレーダーピケット艦に転落しています。それが
イージス・アショア配備計画です。しかも
日本のお金を使ってです。更に言えば、やっていることはレーダーピケット艦と言うよりは黒潮部隊(特設監視艇……とは名ばかりで、第二次大戦中に日本はるか東の太平洋上で、合衆国艦隊や航空機を早期に発見する為の哨戒線に展開された魚船団。きわめて軽武装の木造徴用船で、敵艦隊、敵機を発見次第、無電で通報するが、ほぼ同時に嬲り殺しにされ、敵を発見すれば生還は不可能だった。徴用された漁船は400隻、最大で6000人の軍人(将校)と軍属(漁船員)が投入され、撃沈破7割以上、撃沈200隻余りにのぼる。
将校の多くは商船学校などの学生や卒業生であり、徴用された漁船員は軍属として投入されたが、戦後の書類焼却によって数千から千数百人にのぼるとされる犠牲者数は今も明らかになっていない)です。
レーダピケット艦というのは、本隊を守って自らは真っ先に集中攻撃され大きな被害を受ける被害担当艦でもあって、要は
捨て駒です。自ら1兆円前後のおカネを払い、平時には大出力レーダーによる民生への悪影響(公害)を出しつつ、いざとなると先制核攻撃で蒸発する。
市民にとって得るものは何もありません。精々、カタログスペックは見事な「カッチョイイ」兵器に恍惚とすることくらいでしょう。
弾道弾防衛は、国のあり方そのものに直結するきわめて重要な政治課題です。カタログショッピングよろしくカタログスペックの高いものをローンで購入しても役に立ちません。
弾道弾防衛においては、まず下記の程度は大前提として決めておくべきで、それは政治の仕事です。
1) 事態発生をどう防ぐか
2) 何から何を守るか
3) どの程度まで守るか
4) どのように守るか
5) どの程度の費用をかけるか
6) 守れなかった場合どうするか
政治が仕事をしていないことは、イージス・アショアと言う
先制核攻撃を誘致するだけの、危険できわめて高額な無用の長物の導入がなし崩しに進んでいること、65年も昔のプロパガンダ、
duck and cover(参照:
第5回)の再来でしかない
無意味な防空演習への市民の動員が如実に示しています。
更に、日本には無関係と判明していたミサイル実験での首都圏を意図的に外した東日本全域への
Jアラート。東へ西へと国内をパレードしてまわる局地防空兵器ペトリオット
PAC-3。もはやお笑い草でしかありませんが、事はきわめて深刻です。いざという時、高価な兵器を買いそろえても有効に活用できず、市民を無為に犠牲にすることは明らかです。それは1944年後半から1945年8月15日までの再来でしょう。
国の失敗で犠牲になるのは常に市民です。
現在、および将来の脅威に対する軍備による備えは必要です。それはハードウェアだけでなく社会のあり方など広義のソフトウェアも等しく価値を持ちます。
しかし最も重要なのは、
戦争回避の政治的努力です。戦争は外交の一手段であるとは言いますが、やはり戦争に至ることは国家の大きな失敗です。核抑止のもとでは戦争それ自体が破滅ですので、戦争を起さないようにすること、その為の
抑止力としての軍備を議会での精査の上で整備すべきでしょう。もちろん、
MD(ミサイル防衛)も立派な抑止力です。
少なくとも、自らは蚊帳の外にありながら、半島デタントに向けて動く米韓に対して戦争状態継続を申し入れるなど、恥知らず以外の何ものでもなく、核戦争を望む人類共通の敵とも言えます。
半島デタントが今後どのように推移するかはわかりません。デタント崩壊もあり得ます。しかし、蚊帳の外から進軍ラッパを吹き鳴らすような醜い真似をこれ以上許さないことは日本の市民に投げ掛けられた責任でしょう。
これからが市民にとっての正念場と思います。