朝鮮半島緊張緩和が進む中、日本の防衛政策はどこに向かうべきか?

牧田寛
9月平壌共同宣言

AFP=時事

半島デタントの中、日本が「蚊帳の外」である理由

 さて、前回までに6回に渡りイージス・アショア配備について考え得る背景と取り得る手段について述べてきました。

 現在、半島での緊張状態は、米朝間の核抑止を軸に推移しており、日本としては積極的に取り得る手段が余りありません。そのような中、本稿執筆中の9月19日に韓国の文在寅大統領と北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長が平壌にて「9月平壌共同宣言」に署名しました。これは東西冷戦開始以後、極東における最大といえるデタントの始まりと言えソ連邦崩壊に匹敵し場合によっては上回る大きな動きとなり得ます。

 一方で過去14年間、余りにも日朝外交が希薄です。希薄と言うよりも殆ど存在していません。やって来たことは、日朝間の経済関係が希薄化した為にもはや実効性のない対朝経済制裁在日朝鮮への嫌がらせくらいです。後者は人種差別主義(レイシズム)と直結し、論外です。日本の最悪の汚点として永久に残るでしょう。

 過去14年間の対朝圧力外交は、何ら成果を残していません。10年かけて成果のでない政策は失敗であり、それまでに転換されるべきです。しかし、日本は惰性と国内向けプロパガンダとして行われてきた過去14年間の対朝圧力外交によって、何ら外交上のカードを持たなくなっています。

 最重要課題である拉致被害者の帰還問題も合衆国に依頼する他に打つ手はなく、事実上無為無策です。事実、2004年の第2次日朝会談よりあとは、一人も発見されず、帰還していません。

 私は、1999年12月に超党派で行われた村山訪朝団参加者による「拉致問題」を否定する発言に端を発した騒動において第一発見・通報者としてその後2003年まで末席ながら拉致被害者救出運動に関わっていましたので、この件については強い怒りを感じています。2003年当時、まさか拉致事件が国内向け政治宣伝の玩具になるとは考えてもいませんでした。(参照:「青木代議士の発言及びこの問題に対する釈明について(1999/12/11)」。救う会全国協議会ニュース1号と言うべきもので、救う会が闘う集団に転換したターニングポイント)

 北朝鮮にとってかつて経済関係においてきわめて重要であった日本の地位は、日本にとり外交上の重要なカードでしたが長年の経済制裁によって、完全に価値を失いました。このような状態は、日本自らが招いたことと言う他ありません。

 同じことをたいへんに友好関係の強かったイランに対しても行っています。こちらは日本が一方的に関係を断ち切ってしまいました。理由は、イランを宿敵とする合衆国への追従です。日本の持っていた権益はその多くが中国のものになりました。日本政府は、ずいぶんと気前が良いものです。イラン・ジャパン石油化学(IJPC)の推移を知る身としては強い怒りを覚える他ありません。税金と言う市民のお金と、民間の努力によって得た日イ友好関係を勝手に捨ててしまったのです。

 日朝関係が希薄化する間に、北朝鮮は核開発と弾道弾開発を進め、合衆国との直接交渉ができるまでに外交上の地位を確立しています。限定的ではあっても核・弾道弾の保有と、朝米(米朝)、朝韓(韓朝)における二国間首脳直接対話の実現は、外交の決定的な転換点であり、もはや日本は完全に蚊帳の外です。そして遂に日本は、9月平壌共同宣言という第二次世界大戦後の一大転換点を冷笑しつつ傍観するだけになってしまいました。

 失敗した外交は、基本方針を転換し、建て直す他ありませんが、現状は国内向けプロパガンダの道具以外、何ものでもありません。

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日本がまず外交関係をの立て直しをせよ

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