このアイデアを試すために、筆者にとってもっとも身近な高齢者となった実母(70台前半)に協力を仰いだ。実母は6年前に実父が亡くなってからしばらく名古屋で一人暮らししていたが、2年前に近所に引っ越してきた。現在は月に1度会う程度の交流がある。
ただ、父が健在な頃からあまり密な会話をする間柄ではなかった。きちんと愛情を注いでくれたし、進路を巡ってそれなりに言い争いをしたりした記憶もあるが、互いに「親」と「子」という肩書きの範囲内でしかコミュニケーションをとってこなかった。仲は悪くはないが、プライベートでは一切交流しない上司と部下みたいな感じだったかもしれない。祖父母ほどではないが、いまだに何を考えているか読めないところが多々ある。
だからこそ対話のしがいがある。普段プライベートで話すときとは違い、仕事でインタビューするときのように遠慮を排して臨むことにした。
テーマはお互いの「死後観」。「終活」関連の取材を多くこなす筆者の趣味だが、父親との馴れ初めやそれ以前の交際関係などを聞くよりも、今後に生かせる対話にしたほうが後々役に立ちそうという計算もあった。母はおそらく無宗教的な考え方をしているはずだが、あの世や生まれ変わりを信じているのかいないのかといったことは聞いたことはない。
某日、互いの家からほど近い武蔵小杉のカフェに集まった。こちらの考えを語ったあと、渋々ながら試みに応じてくれた母は、しばらく悩んだ表情を浮かべたあと「老後のことも含めて、いままでまったく考えたことがなかった。だからわからない」と答えた。
すでに高齢者の年齢に入っているのに、いま現在も老後について考えたことがないらしい。ましてや死後のことなど遠すぎる先の話だという。いままで考えてこなかったのなら、いま急に結論を出すのは確かに無理だ。
ただ、現在を含む老後について考えてこなかったという言葉はとても響いた。「ああ、だからか」と。
母は腰を悪くしており、近所のリハビリ病院に通っている。まずまずの効果が出ているのに、本人の意欲はいまいちボヤけたままだった。傍からみてもどかしかったが、それは母が現実を直視していないからなのかもしれないと気づいた。老境にいる自分ではなく壮年期の頃の自分を見続けているから、現状が受け入れがたいし、現状から導きだされる現実的なゴールにも魅力を感じないのではないか、と。
母自身も若い頃に実家を出て核家族家庭を育んだから、親の老いには日常生活で触れてこなかったはずだ。予習せずに現実の老いを体験しているような感じかもしれない。そして、ハードな現実から目を背けているんじゃないか。そんな思いに至った頃には、試みも忘れて「現実を受け入れないと!」と色々なデータを提示して気持ちを改めるよう熱弁している自分がいた。
会食を経て、結果的にどれだけ母に伝わったかは分からない。けれど、タブーの壁を一枚破ったことは確かだ。これを1年に1回繰り返していけば、同居していなくても着実に理解を深めていける手応えがあった。
年に一度の世代対話。それを広めるには、「三世帯で外食してコンパ形式で語らう」「昔の家族写真を持ち出してそれにまつわる話をする」みたいな、さらに具体的な仕掛けが必要かもしれない。
敬老の日は長らく9月15日と定められていたが、‘01年のハッピーマンデー制度により、現在は9月第三月曜日とされ、もとの15日は「老人の日」と呼ぶようになって区別されている。
今年は9月17日が“敬老の日”だ。とりあえずは身近な高齢者と会食なんかいかがだろうか?
<取材・文/古田雄介>