敬老も嫌老もいらない。より深く知り合える世代対話の日を

古田雄介
 老人という属性でひとくくりにし、それを根拠に敬ったり嫌ったりすることは正しいのか? お互いへの理解を深めるため、世代間で対話する日をつくったほうが有意義なはず……。「終活」関連の記事を多く手がけるライター・古田雄介が、実母との対話から、そんな提言の効果を検証してみた。

「敬老席」に「敬老者」。本当に敬意はあるのか?

 子供が通う小学校の運動会を見に行ったとき、来賓用テントの隣に丸ごと高齢者向けの自由席が設置されていた。テント内にずらりと並ぶパイプ椅子の背中には「敬老席」というA4用紙が貼られていた。

 児童の親は校庭の隅に各家庭で小型テントを張り、自分の子供の出番になったら這い出てきて運動場の周りで鑑賞する。その往復のたびに敬老席が目に入ってきたが、利用者はいつもまばらだった。老人向けなのか老人を敬う気持ちを込めただけの席なのかちょっとよくわからないから、使いづらかったのかもしれない。

 似たような言葉が今年4月にツイッターで話題になったのを覚えている。

 とある投稿者によって「次の駅から、敬老者が16名乗車します」といった張り紙が置かれた電車座席の写真がアップされた。混み合う車内で身勝手に席取りをする傲慢さを、「敬老者」という独善的なネーミングが助長して大いに炎上。張り紙を張った仙台の老人クラブが後日謝罪の文面を公式サイトに公開するに至った。

 「敬老祝い金」や「敬老パス」、「敬老キャンペーン」などなど、敬老を冠した言葉自体は数十年前からあるが、近頃はちょっと係り受けがヘンな用法が目立つようになってきたと感じる。それは嫌老ワードがネットで目立つようになった時期とも重なる。

 たとえばGoogleトレンドで、「老害」という言葉の人気度(検索ワード全体の相対的な注目度)をみてみると、‘09年頃を境に右肩上がりしていることがわかる。

 「老害」はもともと組織の新陳代謝が進まない状態を指す言葉だったが、いまでは権力に固執する老人や古い考え方を押し通す老人など、人に対して使われるほうが一般的になっている。「老害」の注目度アップは、老人に対するヘイトがネット上で増幅していることを示していると捉えていいだろう。ちなみに、「シルバー民主主義」という言葉も同時期からネット上で頻出するようになっている。

Googleトレンドで、‘04年から‘18年までの「老害」と「シルバー民主主義」の人気度を調べた結果。「老害」は右肩上がりに上昇している

 「敬老席」や「敬老者」という言葉のなかの「敬老」と、「老害」という言葉に代表される老人ヘイト=「嫌老」。一見正反対の字面だが、老人という属性でひとくくりにして、人をザックリと評価しているという点では似た言葉だと思う。どちらも生身の相手が感じられず、ぼんやりとしたイメージだけが先行しているのは気のせいだろうか。

 性別や出身地、職業などで人を評価するのはよくないという論調が強まっているなかで、なぜ老人については時代と逆行しているのだろう?

 筆者は、非老人にとって老人=高齢者が遠い存在になったことが大きな要因だと感じている。

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高齢化社会すらすでに通過した日本

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