「お客様は神様じゃない」。14年間続けた居酒屋のトイレが、常にキレイだった理由

長年醸してきたお客さんとの“信頼”

カウンターに写る影

カウンターに映る影も絵になる

 以上に挙げた理由で、酒を出す店なのに酔ってトイレで粗相するヤツも少なく、酔って吐くヤツも少ない。トイレ掃除がラクなのだ。  5つの要素は他の重要なことに派生する。トイレを汚さない、などという小さなことに収まらない。それは「醸(かも)し」だ。まるで家のようなリラックスできる空間で気持ち良く居られると、他の人にも気持ち良く居てもらおうと心遣いが生まれる。  人の中に共存する性善性と性悪性、その性善性たる良心が自ずと働きやすくなる。醸す雰囲気は人を選ぶようにもなる。マナーの悪い人が来ても居心地が悪くなり、二度と来ない。  店の雰囲気を醸す俺という存在にもリスペクトが発生するのだろう。酒をこぼす、グラスや皿を割る、ということも少なかった。お皿に食べ残しもほとんどなかった。  閉店最終日の3月31日は狭い店内の椅子を外し、立ち飲みにし、100人以上が来店した。客席はせいぜい4坪(13㎡くらい)だけ。一時的に30人近くいた瞬間もあって、満員電車状態だ。所せましとテーブルやカウンターには料理のお皿や箸がわんさかとある。片手には皆がグラスや瓶を持って呑んでいる。  なのに、コップも皿も1枚すら割れなかった、床に落とす人もいなかった、こぼす人もいなかった。トイレで粗相する人も吐く人もいなかった。驚異的なことだと思う。それは偶然か? いや、違う。醸造してきた“信頼”だ。何度も足を運んでくれて、俺との信頼を互いに醸してきたお客さんたち。だから酔っ払っても、何もかもを壊さない・汚さないでいてくれたのだ。  

「お客様は神様」ではない

 俺は「お客様は神様!」という言葉を使わないし、思わない。お客様は神様でもなんでもない。ただただ、俺がお酒や料理や場を提供し、お客さんはそのお礼としてお金を払う、という対価交換。どっちが上も下もない。  だから、トイレで粗相をしたヤツが次に来た時に、「前回飲みすぎてトイレをビチョビチョにしやがって、掃除が大変だったんだぜ! 今日はそんなに呑まれるなよ〜」と愛嬌を込めて戒める。彼も程よく飲んで、ほろ酔い以上は注文せず、気分良く紳士でいる。  帰り際、「今日はトイレ汚さなかったでしょ!」と愛嬌込めて俺に微笑む。「当たり前だろ!」と俺も笑いながら見送る。こんな会話が醸せる自由と信頼。彼が去って行く背中を見て、ニヤッと嬉しさがこみ上げる。そういうの、悪くない。  マナーは醸されるものだ。マナー良くしたくなるインセンティブを醸せばいい。自分が汚したら元に戻す。次に使う人が気持ちよく使えるようにする。次に使う人を慮り、そうした思いやりができる自分を愛してもらう、「俺もそうそう悪いヤツじゃねぇな」と。それが世の中の小さな部分だけでもキレイさを向上させる。そんなことをお客さんに醸して伝えてきたつもりだ。  お客様は神様ではない。お客様の下にへりくだる必要なんてない。ありがとうの気持ちだけ伝えられればいい。お客様とは信頼を醸す。さすればトイレは汚れない。  この“信頼の醸し”は、居酒屋だけではなく世の中すべてに当てはまることだと思う。あなたの行動や消費が、地球に住む誰かを、もしくは未来に生まれてくる世代を、壊したり汚したりしてないだろうか!? 【たまTSUKI物語 第8回】 <文/髙坂勝 写真/倉田爽> 1970年生まれ。30歳で大手企業を退社、1人で営む小さなオーガニックバーを開店。今年3月に閉店し、現在は千葉県匝瑳市で「脱会社・脱消費・脱東京」をテーマに、さまざまな試みを行っている。著書に『次の時代を、先に生きる~まだ成長しなければ、ダメだと思っている君へ』(ワニブックス)など
30歳で脱サラ。国内国外をさすらったのち、池袋の片隅で1人営むOrganic Bar「たまにはTSUKIでも眺めましょ」(通称:たまTSUKI) を週4営業、世間からは「退職者量産Bar」と呼ばれる。休みの日には千葉県匝瑳市で NPO「SOSA PROJECT」を創設して米作りや移住斡旋など地域おこしに取り組む。Barはオリンピックを前に15年目に「卒」業。現在は匝瑳市から「ナリワイ」「半農半X」「脱会社・脱消費・脱東京」「脱・経済成長」をテーマに活動する。(株)Re代表、関東学院経済学部非常勤講師、著書に『次の時代を先に生きる』『減速して自由に生きる』(ともにちくま文庫)など。
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