お客さんが手作りしてくれた、「減店、おめでとう」と書かれたくす玉
実は閉店1年前からお客さんたちに、2018年3月末に「減店します」と発信していた。8年前の自著にも、「いずれ店をフェイドアウトする」と記していた。だから3年くらい前から、店のモノ、東京の住まいにあるモノ、さまざまな契約、それらを少しずつ減らしてきていたのだ。そして最後はメニューを減らし、在庫も減らし、限りなくゼロに近づけて店を閉じたかったのだ。まさに、「フェイドアウト」「減店」の言葉にふさわしい撤退劇を演じることができた。こんなに計画的に店を閉じるヤカラは滅多にいないのではないか。
なぜそこまでこだわったのか、にはもう一つ目的があった。いつか死が近づいてきた時の練習だ。少しずつ身の回りのものを減らして、可能な限り所有物ゼロで三途の川を渡りたい。亡骸の処分にかかるお金だけを頼れる人に託してこの世を去りたい。死ぬ時もフェイドアウトしてゆく、それが俺の夢だからだ。
これからの未来、「雇われて生きていくこと」は辛い、尊厳が保てない、ツマラナイ
最終日のドリンクメニュー。売り切れゴメン!
会社に雇われさえすれば歳を重ねるにつれ昇給していく時代は、ますます幻想になっていく。一部上場の会社にいれば、まだそのシステムは残ってはいるが、それでも順調に昇進している人だって、50代初めには役職定年と言われて管理職から外され減給されて、転職を促される。
一つの会社にずっと所属するのは精神的にも辛い時代。正社員になれず非正規で働くしかなかったり、ヤリガイがなくてスキルも上がらなかったり、ただ時間が過ぎるのを待つツマラナイ仕事だったり、歳を重ねようともずっと15万~25万円の給料に甘んじるといった仕事だったとしても、じっと耐えなければならない。どんな立場であろうと、これからの未来、雇われて生きてゆくことは辛いし、尊厳が保てないし、ツマラナイ。
そもそも「歳を重ねるにつれて給料が上がっていく」という常識は、歴史の中では非常識なのではないか? 特に、人口減少に突入して市場が小さくなっていく中では、なおさら非現実的だ。だから経済界はケシカランながらも、必死で労働者の人件費を下げようとしている。それを安直に許してはなるまい。
しかし、俺たち自身も価値観を変えていかねばならない。楽しく短時間働いて、お金はほどほどに稼ぐ。自分が欲を出さない分、他の誰かに取り分がゆく。これこそ本当の意味のワークシェアリングであり、ワークライフバランスといえる。