日頃「売上低め」ができていれば、必要な時に儲けられる
開業時から飾ってあったオブジェ
さて、そんなこんなの「必要以上は儲けない」「より働かない」をミッションにして14年間を営んできたが、今年の3月末の閉店への最後の4か月は、それらの信念を裏切ってしまった。最後だけは、できるだけ多くの常連さんにお礼を伝える機会を増やしたかったし、まだ来たことのない方にも来てほしかったからだ。
てなわけで、最後の4か月間は週休2日に戻し、その休みの日にも、店でのイベントや講座を入れた。人数の多いグループ予約は通常営業でお断りする代わりに定休日に貸し切りで受け入れもした。通常営業でグループをお断りしたのは、遠方からフリーで来てくれるお客さんが満席で入れない可能性を低めるためだった。
おかげで4か月、相当忙しかった。特に最後の1か月はアドレナリンが充満し、どれだけ疲れが溜まっていても3時間しか寝られない。あれもしたい、これもしたい、と毎日やることがいっぱいで、お客さんに楽しんでもらいたいという想いがいろんな工夫や知恵を呼び起こし、目が覚めてしまった。
閉店日前の1週間は、さらにメニューを減らしていって、売りたいものだけ奥行きをつけて、食べてもらいたいもの、飲んでもらいたいドリンクだけに絞った。そうやって在庫リスクを減らした。
最後の2日間は、酒以外の料理は「お礼制」にした。もう、来店者一人一人のオーダーを聞いて料理を作るのは不可能だった。俺が勝手にお客さんに料理を作って出し続けた。誰が食べようが構わない。それぞれのお客さんが食べた分だけ、自分で値段を考えて払ってもらえればいい。貯金箱のように白い箱に穴を開けて、帰り際にその箱を渡して好き勝手にお金を入れてもらった。
最終日の3月31日は、14脚の椅子を取っ払って立ち飲み制にして、100人くらいが出入りした。料理を出し続け、ビールも焼酎もワインもすべて売り切れ、当店で一番人気の日本酒が少し残った程度だった。食材もほとんど出し切った。メニューにこだわらないから、残っている野菜や乾物などを自由に料理して出せたわけだ。
体力的な限界を超えて、バブルを走り切った。そう、最後の4か月、当店は「閉店バブル」だったのだ。普通なら倒れていてもおかしくない。しかし、自分が好きでやっていたこと。アドレナリンが出まくって、風邪ひとつ引かなかった。すべてを計画的に進めたので、充足感だけ味わって、閉業後の空白症候群に陥ることもなかった。
最後の2日間は「お礼制」にして、お代をこの箱に入れてもらった
さて、ここで言いたいことは「よく頑張った系」の自慢話ではない。必要以上儲けないことを続けてきた俺という変な呑み屋の変なオヤジが、必要な時は臨機応変に「儲けることが可能だった」「儲ける術を蓄えていた」、ということをお伝えしたいのである。
日頃、工夫して売り上げを低めにコントロールしているということは、裏を返せば「売り上げを取ろうと思えば取れる術を蓄えている」ということ。俺のナリワイで言えば、休みを週休3日にしていたのだから、売り上げを増やそうと思ったら、休みを減らして営業日を増やせばいいだけだった。
当店は火~金曜営業、土・日・月が休みでお客さんが来られる日が少ないわけだから、売り上げに困ったらその潜在的な客層が来られる条件を満たせばいいだけ。実際、土日にイベントや営業をすることで、それまで来られなかった方々が来店できるいいチャンスになったわけだ。
最後の4か月、売り上げは100万円を超えた。利益率も上がった。最後の2日間の「お礼制」に関しては、箱を開けると予想以上のお金が入っていた。俺が出した料理代の価値をはるかに超えている。ご祝儀気分で頂いたのだろうからとってもありがたい。値段通りに払ってもらうよりも儲かってしまった。