筆者が先週訪ねた千葉県いすみ市のお宅。人が生きるのに“どうしても必要”というモノは、そんなにないのだということを教えてくれる
哲学者の内山節氏は、「消費を拡大しつづける生き方に飽きてしまったのである。おそらく、これから賃金上昇がもたらされたとしても、さほど消費は拡大しないだろう。なぜならそういう生き方に飽きた人たちがふえつづけているからである」という。
確かにそうだ。
「友人との語らいを大切にする」「味噌作りや家のリフォームなどを自分たちでする」「小さな農地で食べ物の一部を自給する」「有益なソーシャルビジネスを起こす」「地域づくりに参加する」「地方に移住する」「場所にとらわれずに働いて暮らす」。
そんな行動や生き方が増え、ますます注目を集めるようになっている。シェアハウスやシェアカーもここ数年で定着してきた。
「ミニマリスト」という言葉も認知されつつある。
「できる限りモノを持たない生き方こそ幸せだ」という価値観がミニマリストである。それはこの国にかつて根づいていた禅の思想や仏教的哲学とも通じるものがある。
『日経ビジネス』の7月31日号では、「消費多様化の終わり」と題した特集を組んでいる。
それによると「消費者は疲れている」というのだ。同誌によれば、例えばアパレルの国内市場規模は1991年から2013 年の間に3分の2に落ちているのに、商品供給量は倍増。結果として、購入単価は約半分にまで落ちたという。
デフレの正体はここにある。消費する人が減っているのに、企業はたくさん作る。すると売り上げという少ないパイを奪い合うことになる。だから値段を下げて販売せざるをえず、デフレに向かう。
日銀がいくら「インフレ目標2%」などを掲げて莫大なお金を市場に流したところで、インフレにはならない。目標達成の時期をすでに6回も延期しているが、永遠に到達はしないだろう。
もう現代の経済システムでは、経済成長はできない。無理に経済成長をしようとするほど負け組が増え、一部の勝ち組だけが潤い、格差が拡大するだけだ。
「モノを買わない、モノを持たない」という新しい世代の登場と新しい価値観の登場。それは人類がこの星で生き延びてゆくために必然で、正しく楽しい選択なのだ。