――2003年に『なぜ会社は変われないのか』という、原作のあるストレートなサラリーマン漫画を描いてますが、これはどういう経緯で描かれたのですか?
古谷:日本経済新聞社から依頼があったんですよ。原作があるのでリアルなんだけど、すごく苦手だった。自分には経験がないですからね。コンピューターの中の物を作っている会社に取材に行ったりしました。本当は3部作くらいの話だったけど、僕が描くのが遅くて、1年でやっと一冊というペースだったから、一巻で終わっちゃった。
――今は基本的に連載は『BARレモンハート』だけですよね。
古谷:今は1本しかやってない。年金で静かに暮らしてます。
――『BARレモンハート』の連載は32年目に突入しているので、そのうち「こち亀」を抜くんじゃないですか?
古谷:隔週誌なのに、わがままを言って月一回にしてもらってるんです。採り上げる酒を探すのが本当にすごく大変で。基本的には1回描いたお酒はもう使わないので、やればやるほどネタが無くなってく。日本中のバーテンダーがレモンハートに出てくるお酒を見つけて自分の棚に置くくらい、バイブルっぽくなっているので、僕の孫がいつも酒を必死に探してきてくれています。
――日本でバーが普及したのは、サントリーがサラリーマンの新しい飲酒文化を作ろうとして「トリスバー」を通勤駅のそばに増やしたことがきっかけだった、という話を読んだことがあります。
古谷:昔はサントリーオールドを「だるま」と呼んで、オールドをキープして水割りを飲むのがおしゃれだった時代があった。僕もニッカよりサントリーとの付き合いがあったから、作品でもずいぶん採り上げましたよ。サントリーのバーテンダースクールにも通ったし、カクテルコンペの審査員もやらせてもらった。
――昔のサラリーマンはバーで飲んだけど、今の若い人はバーとかあまり行かないんですよね。
古谷:僕がアシスタントの頃はトリス40円、ハイボール50円だった。それでも席料とかサービス料で1000円くらいになっちゃう。有名な先生のアシスタント同士がバーで熱く語っていた時期もあったけれど、意外と酒自体を美味しいと思って飲んでいる人はそんなにいなかったですよ。でも、酒を飲める人が長く将来までつきあえる。『総務部総務課山口六平太』の高井研一郎さんもお酒が好きで味がわかって、僕と一番仲が良くて50年付き合った。
――古谷先生の漫画家としての原点は、赤塚先生ではなく手塚治虫先生なんですよね。
古谷:初めは手塚先生のところでアシスタントをやって、そこを辞めて自分で漫画を描き始めて。ちょうど赤塚先生のアシスタントが足りなくなって、編集者が僕のアパートに来て「赤塚を手伝ってくれって」と言ったんです。手塚先生って当時は「将軍様」、僕らはアシスタントでも「旗本」という感覚だった。だから赤塚先生は「田舎大名」という感じで、半分馬鹿にしていたんです。
でも、手塚先生の職場はいつも緊張感でピリピリしていたけど、赤塚先生は年も一つしか違わないし、かなりフレンドリーなので居心地が良かった。自分はギャグの感性は無かったけれど、こうやって漫画を作るんだという感覚も面白くて、ダメおやじにつながった。最終的には赤塚先生に「僕はアシスタントでいいよ」と言ったんだけど、「そのかわり月100万頂戴」って言ったら「それは勘弁してくれ」と言われた(笑)。
――個人的に描きたかったテーマってあったんですか?
古谷:あったよ。まずやりたかったのは新選組だったんだよね。新選組を描きたくて漫画家になったくらい。新選組が会津藩から毎月もらったお金を誰にどれぐらい払っていたんだろうとか、そのお金で長屋に住んでどれくらいの生活だったんだろうとか、そういうリアルな、地に足が着いた、格好悪いけど必死に生きてるような新選組を描きたかった。そういうのは誰も描いてないから、やりたかった。50年温めたけれど、まあたぶん描かない。あと描きたいのは宇宙ものですね。
――描きたいテーマが結構幅広くあったんですね。
古谷:もともと手塚先生のところは宇宙ものが描きたくて入ったんです。地球が住めなくなって100人くらいがどこかの惑星に移住して、もともとの住人と戦いながら少しずつユートピアを形成していく、というものです。もう一つは魔法の世界の話で、それは『ウォークラフト』というゲームが大好きで思いついた。森に棲んでいる連中がどんどん浸食されてイライラして世界中に戦争をしかける、というイメージです。
でも本当はね、一番やりたかったのは法華経の漫画化です。お経というのはビジュアル的にすごいんですよ。SFみたいだと思って。28章ある法華経を描くのをライフワークにしたかった。でも遅いんだよな、本当に、仕事が。もう全部無理でしょうけど、寝ながらそうやってアイディアをメモしたりしてると楽しいですよ。まだ人生に余力があったら、またどこかでやろうか、とかね。
「BARレモンハート」は大泉学園駅すぐそばで営業中
<文/真実一郎>
【古谷三敏】
1936年、旧満州生まれ。漫画家。終戦とともに茨城県に移る。’55年、少女マンガ『みかんの花さく丘』でデビュー。手塚治虫、赤塚不二夫のアシスタントを経て『ダメおやじ』を発表。現在、「漫画アクション」誌上にて『BARレモン・ハート』を連載中