――『ダメおやじ』はその後、文庫本になったり、コンビニでダイジェスト版が発売されたりしていますが、基本的には社長篇以降の採録で、残酷だった初期はもう読むことが出来ません。これは古谷先生の意思なのでしょうか?
古谷:僕自身が年をとって、最初の頃の話は読むに堪えないというか、なんでこんなすごいこと描いたんだろうって思ってしまうんですよね。特に、車の運転を習っていて犬を轢く話とか、ダメおやじが大事にしているぬいぐるみをイカ太郎が引きちぎって泣かせるとか。恐ろしいというか、なんでこんなの描いたんだろう、というのがありますね。若さかなあ。でも公共の物だからダメだろうと。
――少年漫画の絵柄だからこそ、残酷さが際立っちゃうんですよね。
古谷:前半の残酷ものは、時代もあったと思う。日本はどうなっちゃうんだろうっていうくらい、みんなウハウハ言っていたわけで、今の中国の爆買いみたいな感覚ですよね。不幸な人間がいないみたいな。だから余裕をもって『ダメおやじ』を読めた。でもそのうち、「ダメおやじの家は貧乏だけど庭がある、自分は団地なのでうらやましい」っていう投書が来た。日本自身が疲弊していくと、自分自身がダメおやじみたいな不幸な感じを持つ人が出てきて、こんな漫画を描いていては良くないと思った。
――1970年代って、前半と後半で景気の勢いが大きく違ったんですね。
古谷:連載が始まったころは、若者はみんなロングヘア―でギター抱えて新宿で歌ってた。 生活苦なんて感じてなかった。あの頃の時代をもう一回検証していくと面白いですよね。政府批判する人が内輪で内ゲバやったり殴り合いやったり。日本中が狂っていた時代に『ダメおやじ』は始まったんです。
――そういう部分が作品に出たのかもしれませんね。
古谷:そうかもしれない。僕自身、お金はすごく入ってきたのに、イライラしてるんだよね。僕は終戦直後に満州から引き揚げて10年くらい食うや食わずで、おやじは寿司屋だったけどお米は配給なので寿司なんて作れないから、密造酒を作ってたんですよね。酒に興味があったのはおやじの密造酒のおかげです。そんなふうに、いつも腹減らしてたのが、いきなりベンツとか買ってマネージャーに与えているわけで。おかしいよね。なんかしっぺ返し喰らうぞって思っていた。
――高度経済成長期って、給料が毎年すごい勢いで増えていたっていいますよね。
「BARレモンハート」(双葉社)
古谷:ゴルフ場の会員権を買おうと思ったら、1週間で100万円ずつ値段が上がっていったんですよね。結局買わなかったけれど、それが正解だった。当時ゴルフの会員権はたいてい5000万くらいして、銀行がゴルフ場のパンフ持ってきて、「この家を担保にすればお金を貸すから買ってください」と、ずいぶん来ていましたね。