彼女のコメントにはまた、葛藤を克服した達成感、答を出したある種の自信のような心情が読み取れる。
アドラー心理学では、人に役立てるとの思いを勇気と言い、コンプレックスに負けない強い存在に成長させてくれると言う。まさに彼女は、「2017年2月吉日」に自分なりの勇気を持って宣言したのである。「幸福の科学」がよっぽどのカルト教的活動を求めない限り彼女に、以前のような仕事をさせる芸能界に戻る選択肢は無いであろう。彼女の眼には、家族への依存のような安寧を与えてくれる環境で、自分に自信を持って人の役に立つ幸せな未来が映っているのかもしれない。
ただし、今回の彼女の生き方の選択が確固不変なものであるかと言えば、そうとも言い切れないのである。
何よりもまず、若者の価値観は変化に富むという側面がある。22歳という年齢も現代ではまだまだ未成熟である。
大事なポイントは、宗教家になる決心が、本当の意味での葛藤の克服だったのかどうかである。苦難に悩んだときに、親や周囲の大人の助言のままを受け容れただけであれば、真の意味で乗り越えてはいない。つまり「言われるがままの選択」で深い葛藤や克服体験を避けたのであれば、今後、真の葛藤にぶち当たって信念の変更を余儀なくされるであろう。
宗教家として生きる選択が、彼女自らによる宗教体験を同一化したものによるのか、依存していた周囲の大人の説得を受け入れたものなのかによって、今後の展開は違ってくるだろう。親の示す通りの道に進んだ者がその時は良くても、後に壁にぶつかって挫折したり、問題を起こしたり、新たなアイデンティティの選び直しを迫られることは、非常に多く見られることなのだから。
もちろん、芸能界の慣習の中で成長し、葛藤に打ち克ちアイデンティティを確立する若者が多いのも事実である。
今回の出家騒動はまだしばらく続きそうであるが、新興宗教への依存が善か悪か、芸能界の雇用関係が肯定か否定かを論じる前に、若者の自立と成長を促す健全な依存と葛藤の環境を周囲はどれだけ作れているのか、大人たちは顧みる必要があるのかも知れない。 <文/安達 夕>